腐った時代に  [クソ食らえインテリ・小市民(知性のウソ)][クソ食らえ「団塊」の豚達][共和制]


 俺は今の時代は、相当どうしようもねえとこに来てると思ってる。


 為政者という、権力という、「俺達庶民」にゃ縁のねえ「お上」のたぐいじゃねえ、生身の人民の、それもかなりの部分が腐っちまってるのが白日の下になっちゃってるからだ。ヒトのせいにしようがねえのだ。


 これは実は、古来変わらねえ図式なのだ。いつも他人事、「お上」のせいにした人民の怒りが政権を転覆する。首謀者は人民じゃねえ、「新たなお上」なのだ。


 これからも、この国で政権転覆するのは「新たなお上」だろう。ミンシュ党なんてば、卑近で分かりやすいね。


 いつの時代も一緒なら、なんで今の時代がどうしようもねえかって? 「俺達庶民」の大半が小金持ち、小さな権力者(金利生活者)になっちまったからだ。真っ当な怒りさえ湧かねえからだ。言われりゃ「納得」しちまうからだ。小狡い方に走っちまうからだ。


 新たなもんってのはいつも、体のいい理由付け以前の、頭でっかちな「納得」以前の、上っ面の善悪の彼岸の、体震わす怒りから湧く。暮らしの中で真っ当に働く者中核とした―。


 お安い希望、持つなってことさ。「庶民」におもねて上っ面希望語る御用学者、サラリーマン哲学者みたいにね。


 思想なんてのは、希望的観測も上っ面の善意も捨てて、全身で嗅ぎ取る営業屋と一緒だ。当たりめえさ。現実は現実。構築は構築。構築の実を試すのは希望的観測じゃねえ、現実だ。


 砂糖菓子ばら撒くなんて、馬鹿げたこった。アリ何千匹集めたって一緒さ。実は広告・印税稼ぎですってば、「実」はあるんだろけどね。


 希望的観測しねえ強さ。「俺は俺」で構築する強靭さ。土方の兄ちゃん職人のあんちゃんが仕事おこすのと、何も変わらねえさ。