納得する馬鹿、見上げる馬鹿と共和制の真髄
人に言われて納得する馬鹿。見上げる馬鹿。
何のことか分かるかい?
二世三世、科挙学歴、役人・サラリーマン社会ってことさ。
説明されて納得しちまう奴ほど、情けねえ奴はいねえ。
見上げてケツ追っかける奴ほど、情けねえ奴はねえ。
こんな人生のイロハ分からねえまま、棺桶に足突っ込む。何んかに自分重ね合わせたままね。
感性、体感、嗅覚を軸に。人生、何をおいてもこいつが軸。
人との間合い、知識との間合い、権威との間合い、立場なるもんとの間合い。すべてこいつに尽きる。
こんなこと言うと、またぞろ「あんたは反知性主義」。言われたね、散々。
それはこの国、アジアの知性が、熊さん八っあんの道徳までが、科挙・学歴・お墨付きの役人構造の上に載っかってるからさ。
ガリレオもコペルニクスも、「俺は俺だ」の納得しねえ根性から生まれたんだぜ。
政治・経済社会のフォーマット。保証人面する全能の神。この虜に生まれても、部分に生まれても、部分の仕事していても、「何んかヘンだな?」。
この感性体感が、嗅覚持続の根性が突破口さ。百姓、営業、物作り、取材、もの書き…。どんな仕事も自分なりに作り上げた奴は、たいがいこいつ持ってるさ。原型は持ってるさ。
新規開拓。パイオニアの性根。人の並立、共和制の性根。全部、こいつが軸、原型。実践、実用の人民の生き方さ。
人間、高度化なんかしねえさ。いつも始まりは一緒。原初の自分は一緒。
何んかの上に載っかってスタートの公家社会、封建武士のサラリーマン社会。嫌でも劣化するさ。滅びるさ。バルバロイに食われるか。自滅かでね。
感性、体感、嗅覚に戻れ。こいつ徹底的に磨き上げろ。実践の娑婆の中で。
その上に築け。ほんまもんの知性。自前の柔軟な知性。
こいつが何より大事。人生賭ける価値は十二分にあるぜ。どんなに貧乏こいても、割り食ってもね。