馬鹿とあほうと共和制

 あほうは東京行きゃ、ただの馬鹿に。

 東京にゃ序列はあるが、人間様の血肉はねえ。こいつは、その昔暮らした俺の実感だ。

 これはそのまま旧制中学伝来、明治仕込みの偏差値序列教育にホネの髄まで洗脳された者達の心性だと、俺は思ってる。あるいはそのルーツ、主君がいなきゃ自分がねえ縦社会、サラリーマン武士伝来。

 俺の叔父なる人物は、大阪に暮らしてた。中途でイエに呼び戻された親父と違って、一応ちゃんと卒業し、「上」にも行ってそこそこ出世。

 行った俺はすぐ感じた。この男は大阪じゃねえ。

 口じゃ立派に社会批評。欠けてるもんがあった。人情。あるいは体で実感、汗流す性根。

 こいつは大阪の東京人。いた七年間、ずっと俺は思ってた。

 本音は序列。人それぞれなんて金輪際ねえ。肉体がねえってのは、このこと。

 あほうは東京行きゃ、ただの馬鹿に。

 糞の田舎に舞い戻って実感した。ここにゃ、あほうはおらんばい。立身出世の中央志向、百年も続けりゃね。ピンからキリまで利口か馬鹿。無手勝流の俺は当然、馬鹿の極致。

 それでもしかし実感した。人間の地べたはどこも一緒。あたりめえだけどね。肉体に、感性に行き着きゃいいってだけの話。

 三十年近く、俺は人間様掘り続けた。こいつにいつもぶち当たりたくて。信念でも方針でも生き方でもねえ。ただの飯の仕事。空しさまぎらわしてえだけだった。お陰で散々余分な横穴掘って、嫁さんと大喧嘩。フリーター、ってよりもその日暮らしのルンペンプロレタリア。よくまあ一緒に来たもんだ。

 はっきり思った。人尊敬するのはよくねえな。他人じゃねえ、自分掘れ。

 時間ねえから結論に。共鳴共感人情と人の並立の共和制。どうにかここまで生きてきた、俺の人生の実感。

 ルソーも多分、同じこと感じたんだべ。老子なんかもね。「道」なんて、もっともらしいもん持って来ちゃいけねえ。

 人間、人それぞれ。感性肉体実感持って、こいつ言う思想は必要さ。

 自由平等博愛。こいつを自分の言葉で感性で、仕組み化するのは必要さ。古い新しいの話じゃねえ。インテリ・東京もんは馬鹿だから、そんなもんもうどっかでやってる。これで済ますけどね。

 大事なのは人間様の、人情実感伴う思想と制度だ。はやり廃りや「先駆」の問題じゃねえってのは、分かるべ。

 こういうもん作らねえと、ヘンな話だが形だけでもいいさ、ちゃんと作らねえと、またぞろやられるぜ。エセの家族に。エセのあったかさに。こいつ装いごっそり持ってく虚構の封建、明治伝来、和製タリバン共に。

 (付記)
 統治者共が涙流す、明治伝来の道徳美風。その真髄は子に親がして当たりめえのこと、恩に着せる。
 何度でも復活するぜ。実感伴うほんまもんの自立が、人情が、連帯がねえと。