何もんでも無え俺

 何もんでも無え俺。

 思えば俺は、これ目指した。くだらねえ飛び込み自殺の人生の中。

 言葉にするのはこの今だが、後付けでもねえさ。見栄体裁、糞の意識含めた意識、無意識、半意識のぶつかり合い。そん中で決まっちまった方角だ。嫁さん子供、散々泣かせながら。散々苦労の人生のなか、娘の幸せ願った雪国の義母がっかりさせながら。

 たった一つ良かったこと。何もんでも無え俺は人民、または人民と同じ位相。無産者ってことさ。銭金でも名辞でも。

 こんなもんに行き着くため、散々元手かけたとは。人に勧める話じゃねえ。だからたった一つさ。良かったのは。

 侵略、搾取、圧政、差別・嫌がらせ…。これらすべて、理由付けの世界の出来事。銭金、名辞の、ケチなお仲間意識の世界の出来事。こいつ、透けるがことく見える。地下で泣く人民が見える。

 見える? 感じるってこと。ようやくにして。

 俺は無。無は俺。こんなもん意思する生身の人民、いねえの百も承知。意思してなるのは、あんたの趣味。

 呪われてる? 蹴飛ばしてやるさ。呪いなんざ。そのためここまで生きてきた。何んにもねえ空っぽの、正真正銘無の世界。そっから始めるのは、紛れもなくこの俺。神も仏も亡霊も糞食らえ。地上の全生命の無意識受け継ぐニンゲンの情念が感性が、一つひとつのその共鳴が、この世を作るのだ。

 共鳴共感義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。