あほとの決別、 またはあほ臭の自負

 あほとの決別。

 封建なるもんとの決別。こう言った方が分かりやすいべ。

 昔(といってもつい二、三十年前まで)、田舎の家はたいがい蜘蛛の巣みてえなもんだった。飛んで火に入る何んとやら。家に入れりゃこっちのもん。舅も姑も公然と口にした。

 嫁の来手はなくなった。しんどさうっとうしさだけ付きまとう、そんな家にあいそ付かして息子も出てった。なので閑古鳥。ぺんぺん草。

 この手の事情繰り返されて今がある。忘れねえ方がいい。ふるさとだのなんだの、情緒にひたり懐かしむ前に。昔懐かし三丁目の夕日、角のお店の青カビパン。

 子の優しさに、情にほだされる人の弱さにつけこんであぐら。これが封建。封建にあぐらかく田舎者、旦那衆の性根。

 女はとりわけ風波の中に。家に入りゃ弱み。子産みゃ、身動きならずさらに弱み。いわれねえ弱み持たされる。しいたげられの連鎖の姑から。しいたげの連鎖の舅から。いじめしごき露顕の相撲部屋見りゃ、よく分かるべ。名残りさ。この手の。

 この国は逃散の歴史だ。理不尽な地頭からの逃散、代官からの逃散、領主からの逃散。連鎖染み付く家からの、家にあぐらの男からの逃散。

 逃げてるだけじゃ駄目さ。逃げた先で同じことやる。逃げた当人が。トラウマ。面白れえもんだ。

 封建の家。今は案外、都市都会の方が多いんじゃねえかな。口先体裁整えて。

 闘争は、対国家ってぇより、家の中で繰り返される。繰り返せ。徹底して。新たな仁義生き方生み出すまで。生身のヒトのレベルで。

 馬鹿げた泥。いいさ、かぶるぜ。口先、間抜け面、ええとこ取り、逃散つまみ食い世代=「団塊」の否応ねえはしくれとして。あほ臭の自負、百も承知さ。