「ど素人」とズレてる者達

 インターネットが普及してから、あぶり出しみたいに出てきたもんがある。

 それはマスコミ、作家、評論家、先生と呼ばれる者達、プロのライター等々、プロなるもんを自認するいわゆる表現者、書き手の上げ底性と意識のズレだ。生活者との。

 こんなもん昔から、気が付く者は気が付いていた。娑婆で真っ当に暮らしてりゃ、大抵誰でもその程度の目は身に付く。忙しくて関わってられないから何言っても流し読みで放っとくか、ある種の思い込みで平生気が付かないだけか、ヘンだなと思っても深く考えもせず、情報の必要部分もそこから得るしかない制約等々から、習慣的に関わり続けて来ただけなのだ。この種の社会的、技術的制約。制約と手を結んで今も残る封建、特権。この上に、この手の者達は載っかり続けてきただけなのだ。

 俺は何度か、この手の世界の者達からこき下ろされたことがある。彼らが勝手に思うところの、彼らと同等かそれ以上の仕事をしたことで。普段からよっぽど狙ってたんでしょうね等々、初対面すらしたことのない者に電話の向こうでねちねち嫌味を言う。そういう環境にいるから出来るんでしょうねと、解説までくれる。中にはこき下ろしを通り越して憎悪を向けてくる、ローカルじゃ老舗を名乗る新聞社の「ベテラン編集者」もいた。

 その昔吉本隆明は言った。どんなもんでも十年も打ち込めば、それなりのものになる。

 それは、機械仕事だろうが大工仕事だろうが百姓仕事だろうが取材撮影、もの書き仕事だろうが少しも変わらねえと俺は思っている。仕事はそういうもんだ。誰のどんな仕事も。そういう理解と実践と共感の上に、ほかの職業、人生の者達との真っ当な関わりは生まれると思っている。

 毎度言うが、封建特権・科挙学歴のたぐいに載っかった者達には、この感覚、思いが例外無しに欠けている。だから今でも民衆蔑視、殿様のような評論社説を平気で書く。私は人民に寄り添ってます。でも違います、あなた達と。

 ネットに押されて四苦八苦だの何んだの言うが、一度消えて無くなってみりゃいいのだ。政権政治、社会の体制システムが変わりゃ、ほんとに困るのはお前達庶民―。結構だ。生じる不便は受け止めるさ。自分の手と足で。

 最後に。ネットじゃ「ど素人」の方が面白い。当たり前の話。一人ひとりの人生生き方だからね、どんなもんも。根っこは。

(付記)
 その昔、学生運動なるデモの時代。今日はど素人が多いなと、平然と言ってのける「プロ」達がいた。特権の火遊び。これ気が付かねえ者達が同列の系に潜り込み、ど素人馬鹿にしたまま棺おけに足突っ込む。この歳まで生きて来りゃ、嫌でも目に付く光景だ。


共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。