脱ぎ捨て脱ぎ捨て
http://www.youtube.com/watch?v=xBfAzAe0XlA
この歌聴いてて思った。フォークってのはどうにも頭だ。情念歌ってるはずなんだけど。
頭で一度生きちゃった者は、脱ぎ捨て脱ぎ捨てじゃなきゃ、もう生きられねえってとこはある。それ、どこまで感じられるかってとこはある。
歌詞は言葉だから当たりめえだけど、歌手にも同じ比重であるんじゃねえかな。どこで一体歌うんか。
あさみちゆきなんて、素直に歌ってる。ヘンなもんにあまり染まらんかったってのはあるだろ。
この手の素直さは馬鹿にされる。東京界隈じゃ。頭由来のフォークの方が受けるべ。嫌いじゃねえけどね。ネクラと言われても歌ったハコ。
東京村は、どこまで行っても観念だ。観念で悪けりゃイメージだ。絵に描いたモチの。絞り出すんじゃねえところの。脱ぎ捨てつかむんじゃねえところの。ウデ組み、うんちくの世界。静止画の世界。生産者も消費者も。反体制アングラ気取りも。アンシャン・レジームってこのこと。
じたばたあがいて死んだ三島由紀夫は言った。「薄荷のような淡い淡い反体制的感情が、これからの市民社会を支配するだろう。わが身は絶対にキズは負わないところの。」
キズ負えば、首ちょん切れば、何んでもかんでもいいって話じゃねえけどね。永のお勤めご苦労さんのやくざと一緒。それだけなら。
自分にほんとに刀向けられるんか。ほんとに脱ぎ捨てられるんか。
田舎にいるとでくわす。あさみちゆきみたいな姉ちゃんが、いい歳こいた爺さんが、ヘンなおべべ着ちゃう図。
馬鹿んしたら一緒さ。東京もんと。他山の石にするだけ。ああ俺は脱がなきゃ、脱ぎ続けなきゃ。そうてめえに言うだけ、するだけ。腹の底から。
脱いで脱いで脱ぎ捨てて、それでも残るもんありゃ、それが俺。こいつ死ぬまでやるだけ。どれほどあほ臭でも。Sisyphosでも。
汗流して飯食うってだけのもん、根っこは。どこまで行っても。