遅れて来た者の身悶え

 山崎ハコのこの歌は1980年頃らしい。

 ならハコは、ほんまもんの遅れてきた少女ってことになる。

 この頃、かつてのあらゆる闘士面達は、すべて評論家になり上がっていた。てめえの上昇、体よく理由付けして。返す刀で留まる者達を貶めながら。

 その頃、ネクラとハコが言われた訳がよく分かる気がする。

 人間に愛情を注ぐ者は、いつの時代も遅れて来た少年少女、青年だ。時代と人への幻想は必ず破綻する。そこが常に分かれ道だ。幻想抱いた自分の直観や情念の源に、自分自身の真実と実存に身悶えしながら到達するか、解体し切って魂を売り、乾いた社会体制とシステムにわが身を委ねてしまうのか。

 ハコが今どうしてるかは知らねえ。だが叫びがある。この歌にゃ。その頃を生きた者の。

 見た目や登場の仕方。それはまるで違うが、ある時期までの沢田聖子も同種の思いを歌に託してたと俺は感じてる。

 1975〜80年代。この糞の時代を身悶えしながら生きただけでOKだ。その後がどうでも。自分は棚に上げ、だれもが闘士面した糞達の頃と比べれば。