もの作る野良犬・Ⅱ ―共和制の感性―

 人は元々、もの作る野良犬だ。

 自由の野良犬、作ることが存在根拠の野良犬。

 反発、抵抗、反体制。これらは総て、作ることの結果じゃねえと駄目だ。

 作らねえ者達の抵抗。この種の抵抗がなぜ空しいかは自明だ。これらの抵抗者は、体制という名の父親の膝の上に存在根拠を置いてるからだ。だから必ず口先だけになる。ならざるを得ねえ。ほんとに体制破壊したら、自分自身も消えうせるからだ。

 言われたからやりましたじゃねえ、自分の体感で感性で、本気で作った者ならきっと気がつくはずだ。素直に従順に作っていても、嫌でも反体制にならざるを得ねえ自分に。作ること自体が否応無く、自分そのものの表現になるからだ。空虚な他人=出来合い・既得権の構図に、結果として否応無く逆らわざるを得なくなるからだ。

 結果として必ず生じる変革の真の源は、ジャンルを問わず自分に根ざした創造だ。当て込んではびこる上っ面の新奇や独創、オリジナリティなどとは無縁の。

 空洞化した既得権と体制が本当に怖れるのは、新たに登場するこの種の他人だ。実備えた他人。作るに根ざした自律の法則持つ他人。えさに釣られねえ他人。真っ当な娑婆には必ずいつも潜在するガリレオ達。

 こういう者達との共鳴。こういう者達との並立。こいつが人間の実に根ざした共和制の基盤、感性なのだ。


 共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根ざしたインターナショナリズム万歳。どんなにしんどくても。