金利生活者の街
ピンはねの街、金利生活者の街。
「上昇した社会」、東京のことさ。
田舎もんはたいがい気が付く。気が付いて口にゃ出さねえ。東京・首都圏から天下って来る者達のこの手の体臭、体質。
言ったとたん、全否定になるからだ。存在根拠の。
金利が悪りいとは言わねえ。そういうものは当然あり得る。無から有を産み出す真っ当な汗の余禄として。
ケツ追っかけ始めた途端、人は一気に駄目になる。
先日田舎新聞に、経済財政相なる男提唱の無利子国債を批判する記事が載った。相続税減免とセットの金持ち優遇国債。
戦後の真っ当さを突き崩すものの一つに、贈与税、相続税減免があると俺は思っている。
戦後の「厳しい」相続税には、富なるものは一人ひとりが産み出すもの―。この種の精神があった。経済・社会政策以前に。二世三世、ぼんぼん達はこれを忘れる。というより、忌み嫌う。
経済財政相なる男は、俺の記憶ではべ平連・市民運動の出。その後はタレント政治家の秘書か何か。バブルの頃は経済評論家―というより蓄財評論家だった。
市民運動なるものに昔も今も感じる違和感は、リアリティの無さだ。生きることの。腹の底から湧き出るものが無えということ。その分、変わり身は早い。万事、意識の上部構造の事柄だからだ。彼ら、彼女らには。
民主党。味噌糞一緒の集団。
功労者の息子が、世襲禁止の掟を破って地盤継ぐとか。この息子、去年だったか、靖国の渡り廊下を「みんな」と一緒に胸張ってかっ歩していた。
「遺産」に固執。金利のケツ追いと同じ。自分の根源・下部構造(産んでなんぼ、創ってなんぼ)に根を置かねえ者達は、いずれ容易に手を結ぶ。もう結んでるんじゃねえかな。
はっきりと、しっかりと、目ん玉ひん剥いて見極めることだ。クソと味噌。
共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根を置くインターナショナリズム万歳。