午後の随想 ―ミクロな汗とマクロな構想力―

 人にはミクロな汗(日常の仕事)とマクロな構想力が必要だ。

 全体を感じながらミクロを行う。これが必要ということ。

 これが無ければ唯々諾々、言われたからやりましたにしかならない。どんな仕事も。

 これは難しいことではない。感じるということ。全体を。

 構造への口出しは御法度。これがこの国の人々の能力の伸展を抑圧してきた儒学仕様の精神だと、俺は思っている。

 マクロを構想する。これは往々上昇志向と間違えられる。組織や社会、とりわけ上層部への批判を含むからだ。

 仲間や「下」の者達からは出世志向と間違えられ、「上」の者達は只の下克上と見る。

 これこそが縦社会の性根なのだ。「上」も「下」も。

 俺が人の並立、共和制を言うのは、俺自身の人生の経験からだ。ミクロの汗とマクロの構想力の共鳴。そのためには縦社会・儒学仕様の社会構造の変革と、並立・共鳴・共和の社会政治構造が不可欠と思っている。