御家と主体性

 作ること、創造、変革。

 この源が、個人の内側に潜むマグマであることは、封建社会も知っていた。

 なので彼らは陽明学を許した。

 異端としつつ。ガス抜きとして。御家(封建社会維持の静的仕組み)大事にいつかは目覚める、父親コンプレックスの悪ガキの手慰みとして。

 現代の昌平黌・東大の思想史の先生がその昔言ったように、それは御家を支える封建儒学朱子学の補完物に過ぎなかった。

 こんなものをそのまま持ち出して振り回せば、三島由紀夫ならずとも頭がおかしくなるに決まっている。自己分裂で。欠陥思想だからね。

 たいがいの者は三島ほど脳みそは良くないから、または小狡いから、自己分裂の暴発に行く前に戻る。計算ずくの良い子に。

 青年会議所なんて組織が全国津々浦々にあるが、これなんかよく出来ている。すねかじりの馬鹿息子のガスを抜き、小狡い良い子に育てる仕組みとして。自民党青年部なんかもそうだろう。

 小泉の息子なんか、いいサンプル。首相公選を言った、かつての「青年将校中曽根康弘も。その昔、地盤の上州の鉄路沿いに宣伝看板が立っていた。

 橋下徹なんかも、一先ずうまくやっている。社会の下部構造に封建社会以来醸成されている歪んだ庶民のメンタリティーに擦り寄りながら。「いつかは自分達(実は体制)を護ってくれる、本当はいい人の悪ガキ」。

 品性下劣な不良、チンピラ達が校旗振って校歌がなり、錦の御旗で去勢された生徒共を締め上げるチンピラ学園国家は、このまま行けば案外すんなり再生するんじゃないかと俺は思っている。

 再生? 昔はそうだったからね。『次郎物語』だっけ。この辺にはチンピラ学園の姿がよく描写されている。

 船中八策だの新しい国家観だのと言っても、結局は帝国明治の焼き直し―というよりそのものになるだろう。国家はお家。民衆庶民は、小国民という名の家畜に。放射能だって、みんなで浴びれば怖くない社会はすぐそこ。

 あかの他人の集合体の社会はなるようにしかならねえが、自分は変えられる。いつの時代も、何よりこれが大事だと俺は思っている。そしてこれが、欠陥思想の行動哲学・陽明学に一番欠けていたものなのだ。何が真の神(自分の主)か。

 主体(自分ということ。当たり前だが)をはっきりと見極めれば、親父への反抗だけに終わって遺産(旧体制の恩恵)はちゃっかりとせしめた、左翼・労働運動も含めた愚劣で小狡い悪ガキ形態からは容易に抜け出せる。そして真っ当な人生を歩めるようになる。右に左に周りが勝手に振れようが。これだけは請け合うよ。

 主体=自分の確認と回復。それは人や知識にすがらなくても、世の中を虚心に自前の汗を流して生きれば、誰でもおのずと気が付く機会はあると、経験的に感じている。

 それでも読んだ本の中には、ヒントになるものはあった。口先では無い、真っ当・まともな体験が書かせた本の中には。科学書の中にもそれはあった。体を張って体当たりで、逃げずに思考を巡らせた本の中には。書く方は大変だろうけど。売れないので。

毎度挙げるが、西郷南洲の『南洲遺訓』(岩波文庫)なんかはいい本だった。良く読めば。

 陽明学系の本とされるが、いいのは西郷の汗と感性、愛情や涙のたぐいが滲む所。実体は庶民と変わらぬ下級武士の家庭だった、幼い頃の体験が育んだところの。

 これは、例えば三島由紀夫に最も欠けていたものだと俺は思っている。


(付記)

 話は戻るが、陽明学(的なもの、主体的なもの)が朱子学(的なもの、あなた任せ的なもの)に真に打ち勝つには、神(自分の主としての自分)をしっかりと認識した社会・政治思想を打ち立てることが必須だと俺は思っている。口先民主じゃない自前のものを。

 我田引水になるので、スローガンは今日は控える。