魂の神髄・共和の神髄

 制度以前の自分、宗教以前の自分、民族以前の自分。

 この手触りが無いところに、真の発見も創造も人間同士の連帯もあり得ない。

 手触りは、言葉や観念を漁るだけでは得られない。

 自分を投げ込まないことには駄目なのだ。自前の行動の中に。

 それは高く付く。人生において。

 そうする者は往々貧困に陥るだけでは無い。無用な蔑みや中傷、吐きかけられるつばき…。その中で生きることになる。

 だが自分を含めた人の真贋、社会の真贋を見抜く眼は、その中でしか身に付かない。

 でなければ、生きるのも働くのも一生昼寝をして過ごすのも一緒なのだ。

 誰が意欲を燃やそうか。生き抜くことに。



(付記)

 これは目新しい生き方でも何んでもない。あらゆる世界の真っ当な者達が古来、意識無意識に実践して来たことだ。