延々ひとり言 ―共和制の魂―

 来年の手帳を買った。

 めくったら、一年先の2014年のカレンダーが出た。

 思えば遠くへ来たもんだ。中也じゃねえが。

 餓鬼の頃、俺は21世紀なんてはるか彼方の遠い世界ぐらいにしか思っていなかった。

 想像できなかった―というより、想像する気にもならなかった。五十を過ぎた人生なんて。

 時間なんてのは、あっという間だ。

 人も世の中もそう簡単に変わるわけがないのが、よく分かる。

 俺の婆さんは1886年生まれ。西南戦争の9年後。高崎の在の出だ。

 「♪西郷隆盛ゃ枕は要らぬ 要らぬはずだよ首が無い」

 こんな戯れ歌を、俺によく歌って聴かせた。

 聞けば高崎連隊は、西郷軍に散々やられた口。その鬱憤が地元にばら撒かれたのだろう。

 そんな歌とは関係無く、俺は一時期西郷を尊敬した。実学・活学問で、体で人生を生きた一人の人間として。

 西郷への見方は今も変わらない。人を見上げるのはよくねえ。自分を見失う元。そう感じたから、その種の思いは棄てただけだ。

 人生長く生きると、過去は逆に近づいてくる。この感覚は面白い。

 俺だけかと思ったら、嫁さんもこの頃そんなことを口にする。

 「明治なんてずっと昔だと思ったら、ちょっと前だったんだね。五十年、百年なんて、手が届く昔」と。

 人の輪郭が見えてきたということも、あるのだろう。武士だの明治の元勲だの、功績ある軍人だのといったところで、そんじょそこらの親父と同じ。今以上の階級制と情報閉鎖の中、うまく取り繕っただけの話なのだ。

 別に貶める気も無い。どこにもいる、見栄体裁を抱えた普通のおっさんだったというだけ。

 こんな親父どもを見上げ持ち上げ、昔は良かっただのいい国に戻そうだの。世間知らず人間知らずにも程があると思うのは、俺だけではあるまい。世間知らずじゃ無いとすれば、ずる賢いだけ。仕組みにぶら下がるぼんぼん人生の嗅覚。

 俺は長年、田舎の個人史、団体史、企業史、学校史をほじくった。食うために。
 
 そのたびに出会ったのは、通念で書かれた上辺の歴史の馬鹿ばかしさと、その下に隠された人間達の姿だ。真っ当に娑婆を生きた、愛すべき人々。

 愛すべきが僭越なら、共鳴できると言い換えてもいい。人生を自前の情熱で生きた人々。これは本当に、どこにもいる。百姓にも土建屋にも、学校の先生の中にさえ。

 敷かれたレールをなぞるのでは無い。そんなものはとうにはみ出て、自分の道を進んだ人々。

 この種の人々が歴史の実の部分を築いてきたと、俺は今はっきりと思う。どこの世界においても。

 この種の情熱が生み出す生産物を毎度体よく利用し収奪して来たのが、この国と社会の狡猾な仕組みと、それに寄り添う腐った性根の者達だ。

 形式に始まり形式で終わる、仕組みに魂を売り渡した者達。既得権・搾取の側の二世三世や、腕組みして人を見おろすしか能の無え腐れエリートと言えばわかり易い。

 ヨーロッパだってルネッサンスはあった。日本だってあるだろう。いずれは。

 無ければ滅びる。空っぽな自負心に食い尽くされて。


 人は誰でも造物主の共和制万歳。一人ひとりに根を置くインターナショナリズム万歳。

 
 蛇足だが、俺は中央集権の裳裾にすがり、通念で歴史を掘り出す郷土史家のたぐいとは無縁だった。雑多仕事のひとこま。食うために掘っただけのこと。人間を。体が感じたものから逃げずに。