満蒙を開拓?

 司馬遼太郎の話。共同幻想(暗黙の打算のアマルガム)の上に成り立つ「史実」に感情移入するほど馬鹿げたことは無い。例えば「満蒙開拓」。開拓でも何でも無い、現地「満人」を追い出して棲みついただけと、かつて引揚者は言っていた。「涙の物語」も随分変わる。商売的にゃ書かんだろう。それは。

 満蒙「開拓」の虚妄の話を聞いた時、まだ生きていた「開拓」団長が国策(の犠牲者)だったと必死に強調する意味がよく分かった。引き上げ地に天皇皇族の「行幸」をしばしば仰いだ心理も。

 団長は俺に「わが団で子を置き去りにした事実は一切無かった」と言った。団長の死後、置き去りにされた子供が帰国した。その母親。彼女は「開拓記」作りに一切関わらなかった、独り暮らしのあばら家の老婆だった。