暮らしと労働

 人にとって大事なのは暮らしと労働だ。

 自分が生きる。実に当たり前だが、ここに総ての始点がある。

 この延長上に、自分にとっての総てのvisionが生まれる。

 一番大事なのは、何ものでも無い自分に依拠するということ。社会的に付与された括弧付きの「自分」ではない場所に、より本源的な場所に自分を置くということ。

 これが観念論では無いこと、現実(労働の生産物や暮らし)を実際に変える力があることは昨日記した。

 括弧付きの自分を付与するところの体制。これあっての「自分」では駄目なのだ。

 どれほどの反抗者だとしても、体制あっての反体制(としての自己)では駄目なのだ。

 これではいつまで経っても自家中毒患者。あちこちにごろごろ転がる「インテリという名のスネ夫」に過ぎなくなる。

 人の実存。それは虚構や虚妄に腰かけない場所から、暮らしと労働で成り立つ現実を生きる自分から始まるのだ。