「自虐」史観と人民史観

 田母神俊雄。「シーファー前駐日米大使が言っている河野談話の見直しは米国の利益を損なうといっているのは本当だと思います。歴史は戦勝国が作るのです。アメリカは、日本国民が東京裁判史観、すなわち自虐史観に捕らわれていてくれることがアメリカにとっての国益になることを十分に理解しているのです」

 田母神俊雄。「歴史は戦勝国が作るのです」。国家史、統治史としてのみ歴史を見るとこうなる。

 田母神俊雄自虐史観」。統治史の視点なら当然この見方は生まれる。旧制度に支えられた家長が、社会実態に即した民法によって財産を削られて怒り狂っているようなもの。

 田母神。「米国は日本国民が東京裁判史観…自虐史観に捕らわれていてくれることがアメリカにとっての国益になることを十分に理解している」。子は親の一部。そう思い込んでいる封建親父の言い分。DV親父を、国民ではなく米国が裁いたというのが問題なだけ。民主的な国民史観を作れば解消する。

戦後憲法は、「統治者アメリカ」とは別の顔を持つ者達(必然的に国家を越える要素を持つアメリカ的人民主義者など)が主流となって形成している。都合の良い時だけ身内面のDV親父を越える、良い手がかりに。