カタルシス

小説でもドラマ、ドキュメンタリーでも思想・哲学でも、めざすべきものはカタルシスだろう。

 魂の浄化。ドキュメンタリーや人物史では対象に恵まれると生み出すことができるが、その場合制作者が一時でも人物と拮抗するだけのものを心に醸成しないと表現できない。

 ここに取材やもの作りの困難と面白さがある。

 対象に恵まれればと言ったが、人は誰でもこの種の魂を持っている。

 例えば無心・夢中で何かをするタイプの人々は、カタルシスとして表現し得るものを少なからず行為に表す。

 これを的確に見抜いて表現できれば、聖性はどの人を通じても表すことができる。

 この目を持つことは、事件や犯罪の取材者でも必要だ…というより、その種の取材者だからこそ持つべきだろう。

 人は記者や作者、制作者が描き出したものによって自分自身に気が付くということがある。

 カタルシスの表現。それは善導や哀れみなどの偽善では決して無い。