言いたいことが多いほどに、書けなくなるものだ。

 絵でも何でもそうだろう。技術的な事柄だってそうだろう。

 昔から「ああ、この話(人)は豊かだ」。そう感じた途端に、仕事は遅れた。特に、書くという個人の作業は。

 感じたものが自分の中で、ある摂理をなす。自分なりに納得できる、ある構造を成すと言ってもいい。

 こいつをつかむまでには、どうしても時間が要る。詳しく調べる。掘り下げる。裏付けを取る。自分自身を振り返る。思い込みで熱くなってるだけじゃねえのか…。

 それやこれやの疲れの中、ある感覚に達した時が、まとめ時なのだ。


 こいつは贅沢な仕事だった。言われたからやりましたでは、絶対無理。

 約束は約束。そんなこたあ百も承知。だから最大限の努力はする。だが、机上のプランとは絶対イコールにならねえのが、ぶち当たる現実と、ぶつかる自分の兼ね合わせだ。


 ここが納得できねえ限り、先には行けねえ…。

 時間稼ぎ。こいつにゃ散々苦労した。自分をしばく。自分が勝手にやったことだからと背負い込んで、頭下げつつ延ばしてもらう。その間のお金は要りませんの暗黙の了解。自分を潰すだけ、家族を潰すだけの、若さと馬鹿さの愚行。やっぱり繰り返す。

 もの作りの環境が「はいどうぞ」と整ってるなんて、絶対にない。作ること=自分の中から絞り出すことの宿命。他人は結果にゃ飛びつくが、プロセスなんて絶対分からない。分かってたって知らん振りする。ゼニの絡む話なのだ。

 願わくは、分かってくれる者が一人でも―。こいつは死んでも思わねえことだ。これは、散々馬鹿の繰り返しの末の、否応ない結論。腹くくるしかねえ、どんな時も。これは絶対。

 それから、徹底的に闘うことだ。頭ばっか下げねえで。あっという間に仕事は無くしたが、見切り付けるにゃいい機会だった。他人ばかりほじくったって、しょうがねえ。自分掘りなよ。



 混沌の中から何かを拾い出す。人という、娑婆という、自分という混沌の中から。

 自然科学は素人だが、この世界だって一緒だろう。思い込みや、出来合い捨てて体当たり。自分なりの「?」を、新たな摂理に持ってくために。


 作るとはこういうことだ。

 偉そうに言う話じゃねえ。ネジ一本作る町工場の親父だって、百も承知。どの世界だって一緒。人間平等とは、このことだ。



 こういう性根を持つ者が、この手の世界を味わった者が、一人でも出りゃいいと思う。お仲間としてじゃなく。孤立し光る星を見る。それだけで十分。

 こんな世界が少しでも分かりゃ、出来合いの娑婆の、出来合いのピラミッドのくだらなさなんざ、放っといても分かる話だ。