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強姦しといて「相手だって喜んでた」。
ニッポンってのは、こいつと同じ。つくづくどうしようもねえクズ野郎。
重箱の隅つつく話持ち出し、合意の上だ。やっちゃいねえ。
権力と無力。絶対の立場の違い忘れ果て。
強制は、いつのまにか「無かった」。虐殺も、いつの間にか「無かった」。
「私は強制しませんでした」。言うこと聞くから黙ってただけなのを棚に上げ。
「30万人も殺しませんでした」。相手の白髪三千丈におわせ、すべては無かったかのごとく言いくるめる。
上っ面・アタマで話聞きゃ、そうかもなと思う奴は出る。
事実を見たことねえ奴(見た奴なんて今時いるわきゃねえのだ)は、どっちもどっちのスタンスで、あたし達にゃあずかり知らない話ですを決め込む。肝心の時ゃ知らんぷりの、「気のきいた」知性。
体で怒り感じねえ奴は、事実の見分けなんか絶対につかねえ。差別する側・される側、権力の側・無力の側。いつの世も、この当たり前の構造が「個人」同士の関係に歴然と介在することさえ、気が付かねえ。または気が付かねえふり。
構造消し去り、ツルッとした事実だけまかり通る「自由社会」に乗っかって、豚のように暮らしてきたからだよ。権力権威、銭金の側にだけ感情移入して。
強姦魔有利に持ってく法廷戦術は、「事実」を全部同列にしちまうことだ。人と人の落差忘れさせて。