「子供達、お父さんお母さんご苦労さんって、お歳暮か何か送って来ないかしらね…」と嫁さん。

 半分冗談で、半分そんな気がするんだろう。


 しっかりするしかねえなと思うのは、こんな時だ。

 日雇い、日銭、明日のことは分からねえ、その日暮らしに根性入れて。


 女が人を頼るのは、仕方ねえなと思う。

 出産、子育て。否応ないハンディ。

 次世代を何としても育てる貪欲。その名残り。


 女はどこまで行っても自分は無にできねえ。

 女の我執、妄執ってやつも、こいつに根を置くんだろう。

 自分が生き抜かなきゃ、子は死ぬ。

 何としても、どんな手使っても生き抜くのが女の本能、女の役割。


 女のこの種の業と性を中和するのは男だ。

 男が持つ無の力。


 

 身を捨てるということ。

 子のために、子のために命を張った女のために。自分の魂のために。


 長いものに巻かれずに、自分の足で立ってちょうだい。そして稼いでちょうだい。

 女も子も、これを男に押し付ける。

 有にすがれば無理難題。すがらなくても、かなりの程度無理難題。


 だがやっぱり可能だ。自分を無にできれば。

 子のために、子のために命を張る女のために。自分の魂のために。


 無の意味すり替え、無をただ食いするコッカをソシキを俺が憎悪のは、これによる。

 共和制じゃなきゃ駄目ってえのは、これによる。

 この手の制度の実現は、男が金玉梨男じゃ無理ってえのは、これによる。


 くだらねえ話しちまった。

 こいつは何より、俺自身の課題なのだ。

 コッカがどうでも、あかの他人がどうでも。



(追記)


 誰に向けて書いてるってわけじゃねえ。

 とりわけ教養人にゃ向けちゃいねえ。