古今伝授と自分

 [思想・哲学・宗教(自分とは)][共和制]


読書百遍、意おのずから通ず。


 俺がガキの頃、親父はよく言ってた。
 そう。行間を読むってのと同じ。徹底的に読み込むと、言った本人、書いた本人も気付かねえものまで、見えてくることはある。


 一つの世界にある時期徹底的に浸るってのは、ほんと大事だ。本でも映画でも音楽でも、何でも一緒だ。


 絶対忘れちゃいけねえことはある。感じる主体は自分だってこと。自分の中にそいつがあるってこと。そいつ自分流に育てるのは、自分なんだってこと。


 このことに自分で気付く。頭じゃねえ、心で気付く。体で気付く。こいつが、古今伝授との決定的な違いを生む。上っ面着飾った個性とも違う。自分からにじむほんまもんの個性作れる。


 日本の文学は伝統的に古今伝授。だからいにしえしかたどれねえ。なぞれねえ。


 自分たどるってのは大変さ。センセイ達は批判する。ケチつける。善意でも、無意識の利権がらみで。


 自分を無理に主張するこたねえ。ある時期飲み込まれることはある。徹底的に飲み込まれろや。上っ面で批判しねえで。怖れを軽蔑で装ったりしねえで。


 俺にも師匠はいた。皆が軽蔑し、ほんとは怖れた師匠が。カメラ屋時代だけどね。西郷隆盛さんも師匠だった。ある時期まで。越えられねえ時ゃ無理するこたねえ。体のいい理由付けでこき下ろしたり、別れたりするこたねえ。ある時必ずふっ切れる。馬鹿にしたり、軽蔑したりせずに。ああ、俺は俺なんだと。


 そん時でいいさ。新しいものってのはあるさ。必ず見つかるさ。センセイが何と言おうが、どうでもよくなるものが。自分が始めなんだからね。


 も一度言う。ガリレオもそうさ。コペルニクスもそうさ。アインシュタインもそうさ。モーツァルトもそうさ。有名どころじゃなくたって、巷の職人親父も、工場の親父も百姓親父も、誰だってやってるさ。きっと見えてくるさ。ふっ切れればね。


 素直になることだ。自分の心に。そういう自分、徹底的に信じることだ。大丈夫さ。そうすれば。