娑婆へ出てから気持ちに沁み込む本ってのは、いい。


 岩波文庫で出てた『西郷南洲遺訓』なんてのは、俺にとっちゃそうだ。
 戊辰戦争の時恩義感じた敵軍・幕府側の元庄内藩士が、記憶・聞き書きとかでまとめた本。
 持ち上げ過ぎもあるんかも知んねえが、西郷の本質感じ取ってるのは確かと思う。


 西郷のよさってのは、どこにもころがってる暮らしの心に感じさせるもの持つってとこ。少年なら青年なら、多分大人の者でも素直なら、なるほどと思わすもの持つってとこだろ。


 もう十何年前だか、どっかの民放が年末の紅白の裏番組で、西郷の一代記放送した。最後んとこだけちょこっと見たら、立てこもった城山の最後の突撃前夜だか、桐野利秋とか取り巻きが、確か『ラ・マルセイエーズ』だか歌ってた。ギョッとしてあほかと思ったぐらいだが、西郷の心情はそこに通じるもんが確かにあったと、俺は感じてる。


 西郷は、早漏血気の私学校の学生や単細胞の桐野達に担がれた時、こりゃもう駄目と思ったに決まってる。神輿に乗ったのは、馬鹿学生達の思いの底に、自分が大事にしたのと同じもんがあるのを、感じ取ったからだろう。何かの話で読んだが、西郷は決起の訳を、天子・天皇に真意を問うんで上京すると言ったとか。


 西郷は、ガクモン分野で言や「君、君ならずとも臣、臣たれ」の朱子学じゃねえ、「天にわが心問えば革命も」の陽明学だった。貧乏武士の苦労人西郷が、宮廷革命の域出ねえ陽明学に心酔してたとは、思わねえけどね。そいつにかずけてもの言ったぐらいのもんってのは、遺訓に出てる。


 維新初期の西郷の思いとは別に、権謀術策・損得利害に明け暮れる新政府。「君、君ならずとも」をぶち破れ。ぶち破ったその先じゃ、仮構の天もぶち破るしかねえ。西郷の徹底性から言や、こいつの流れ醸成は必然だったろ。あほ番組も、まるで見当はずれじゃなかったと、今は思ってる。


 西郷の天って奴は、ルソーの自然人みてえなもんさ。多分。福沢が持ち上げ、名もねえ草の根・田舎もんが「おおそうだ。おらもそう思う」と言った啓蒙思想。西郷も直観し、田舎の馬鹿藩で親父の苦労見て育った福沢も直観し、敵方幕府の貧乏旗本、勝海舟その他も直観。俺の糞田舎含めた全国津々浦々、有象無象の人民庶民も直観。ふつ〜の人々納得させるもんが、啓蒙・ルソーにゃあったってこったろ。西郷にも。


 俺がこういうもん書く心境になったのは、二十歳の頃の沢田聖子ちゃんのお陰さ。気持ちってのは、歳じゃねえ。そいつは西郷どんも思ってたろう。