労働 (初出 10/10/2006 07:04:48、やめたサイトより)[職人]

        

  働き者はいい。



 働く中からしか、自分を感じる力、体感は醸成されない。



 私が敬意を抱いた職人カメラマンは、人の倍以上働いた。労働を軽蔑する者達の中で、それでも働いたことがあった。そこに後悔はない。彼と同じ職場でよかった。



 先日死んだ、田舎に稀有な営業屋もよく働いた。敗戦後工場を起こした親父達も同じだった。安賃金の「請負け」をものともせず、工夫の仕事をした土建屋もそうだった。馬鹿げたお仕着せ教育ではない、主体的な教育の場を作ろうとした明治初期の人物も、働き詰めだった。



 働く中から智恵が湧く。発明も発見も、芸術も根本は同じだろうと思っている。奴隷労働では、もちろんだめだが。



 出来合いの観念や思い込み。それらを越える感性は、働くことの延長上じゃないと本物ではない。たいした人生じゃないが、そのことは実感する。



 仮に観念のレベルでは、語り尽くされていたとしよう。だがそれだけでは、真の解放にはまるでつながらない。「あれも知っている」「これも判っている」。そうして済ます者達の人生は、確実に停滞する。むしろ知らない方がいい。知らないところから入った方が、間違いなくいい。



 働くことを軽蔑する風潮。いつからそんなことになったのか。苦役が仕事。働かされるのが仕事。他人のかけ声に呼応して、歯を食いしばる。永らく、それが仕事と勘違いしてきたからだろう。仕事は苦しくて当たり前。とんだ嘘っぱちだ。



 言われるのを待つ。命令を待つ。そんな根性は確実に、労働の足を引っ張る。



 人は生きるために消費をする。消費は二次的。鑑賞者になったら終わりだ。守りに入ったら終わりだ。