表現って奴。言葉でもイメージでも音符でも、一度身体に取り込まれ、化学反応・核融合起こしてから取り出されるもんが本物だ。それ以外は総て、処理の産物。とりわけ脳の回路しか通過しねえもの。この手のものは、調理マニュアルで出来上がるレトルト、インスタント食品だ。


 身もだえってのは、ここに起きる。身体・肉体総ての協働。ほんまもんの表現はこっから生まれる。だから嫌でも身もだえる。産み出すためにゃ。


 天才はスッと生み出す。何の苦も無く。そんなバカなこたぁ、ありゃせんよ。どっかで必死で耕してるんだぜ。いつの時期かは知らねえが。ある時期身体・肉体を。自前の情熱、溶鉱炉で。


 花咲爺いの喩えじゃねえが、すけべ根性で耕しても無駄さ。隣の強欲爺いみたいに。ベクトル・偏向力働いちまってるからね。ケチな摂理に行き着くだけさ。無方向の熱中。子供の情熱。こいつ無くさねえ奴だけが可能だ。ママに言われてお勉強。手習い。無理だべ。絶対。


 こいつがどれほど大変かは、言わずもがなだべ。娑婆はすべてすけべ根性。都市・都会・東京はとりわけ。仕組みの中の立ち回り。それが「賢さ」。こいつが総ての糞の街。デモこいても、パクられるのは田舎もんばかりだったべ。


 夢中ってのは大事だ。少年の心ってのは大事だ。こいつの維持が、ほんまもんの意思だ。括弧に括られる自分、解き放つ。解き放ちながら生き続ける。情熱注ぐ。面白うて、やがて悲しき…。この憂き目に、何度出くわそうとも。まずは仕組み・摂理ありきの、朱子学の性根いまだはびこる糞社会の中で。


(付記)
 右がよく言う「赤心」。算盤づく・すけべ根性の極致だべ。摂理当て込む原理主義。糞さ、こんなもん。地上のどこでも。