[思想・哲学・宗教(自分とは)]  哲学の貧困

 
 小泉のもとで金融・経済財政担当大臣だった竹中平蔵が、舌鋒鋭く現内閣の経済政策の無策突いてた。


 「経済政策への期待値ゼロが不況に拍車をかける」等々はその通りだろうが、見ていてどうにも、都会の証券会社のサラリーマン課長の飲み屋の愚痴に見えちまう。


 現役降りたからって訳じゃねえ。大臣時代からそうだった。


 一番そう見えたのは、小泉のケツ追っかけて靖国の社殿、ヘコヘコ歩いてる時だ。


 あんたの言う既得権解体と規制緩和グローバル化なるもんに対抗できる前向きアクティブな経済社会=人作りってのは、封建等々の殻脱ぎ捨てた近代人、自立した個人想定してるんじゃねえの? 構想・理論と政策において。こういう人間観、否応無く付いて回るもんじゃねえの。理論・政策って奴にゃ。


 こういうところは平気で妥協―ってえよりも思考停止して、「まあいいや、自分の分野(部分)だけ実行すれば」。その根性・姿勢がサラリーマン課長ってことさ。


 権威権力押し立てて、アタマは一握りのエリートに付いてゃいい上意下達の縦社会。それが人民(一人ひとり)無視、走り出したら止まらねえ明治手製の即席近代化国家だったんじゃねえの。その郷愁・シンボルの一つが、靖国なんじゃねえの?


 これ押したてりゃ人は黙る。黙るのいいことに、御無理御尤も。縦の統治に郷愁の輩は、その手の即席性・「合理」性に惹かれて、自由自立と正反対の、既得権と根深く結んだ権威権力の復活試みる。


 この手の性根と、実社会・実世界のギャップ。このギャップを、精神・政策両面で乗り越えられねえところに、この国の閉塞の淵源があるんじゃねえのかい? 経済・政治・教育・歴史・社会構造等々、トータルな事柄に関わるところでね。


 この種の精神構造と、それ反映した政治・社会構造の中じゃ民衆は、本音は、腹は絶対見せねえ。「さあさあ一座の皆の衆、無礼講だから何でも言ってくれ」。そういう長者の“太っ腹”自体、権威・光背背にしてのもん。こんなこと、馬鹿でも嗅ぎ分ける。だから全部、「言われたからやりました」の受身に。アクティブなもんなんか出る訳ねえ。こいつの解体が、あらゆるもんのベースに要るんじゃねえのかい?


 哲学の貧困じゃ駄目さ。社長の顔色読むのに長けた、「キレ者課長」じゃだめさ。鈍刀でいい。人間・社会トータルに想う、自前の感性働かせた構想力。それ反映する制度・仕組み。こいつが何より必要だぜ。