人民の中へ
人民の中へ。
昔のロシアでもあった。
この国の戦後にもあった。
どれも失敗。思い上がりの啓蒙の旅。または思い下がりのすり寄りの旅。
人民の中へ。
こいつは空しいロマン? そうも言えねえさ。
自分に立ち返れ。この衝動が生む悲喜劇ってことさ。真っ当な自分。こいつに立ち返りたい衝動のね。
誰でも本当は人民さ。人民宿してるってことさ。首の下の世界に。
自分掘り下げろってこと。真っ当な労働の中で。真っ当な関わりの中で。
他人知るんじゃねえ。自分知る―ってよりも感じる。人を、汗を介して。
それなら意味はあるさ。人民の中へ。
人民の海は自分の中に。
海は無個性に見える。そうさ無個性さ、実際。
言葉に、観念にすがらなきゃならねえ者達は、この無個性に耐えられねえ。だから見下し、こき下ろす。無意識の海を。人民を。馬鹿げたことさ。
どこにも転がってる自分。誰とも変わらねえ自分。この世に生まれ、育ち、誰とも同じに女を愛し、誰とも同じに女と寝て、飯を食い、糞をして、子を生み育て死んで行く。
誰とも同じこいつが無くて、どこが人間だい? 共感共鳴の根拠、どこにあるってんだい?
個性なんてのは、ありきたりな自分を徹底的に生き抜く中で生まれるもの。または、人生のそいつなりの密度の仮象。この種の密度ねえ個性なんてのは、とっかえひっかえの服と一緒だ。
人に代わって死ぬこたぁ出来ねえ。死ぬ時ゃ嫌でも独りの、孤独の世界。
孤独な自分が、すべてに通じる海感じる。
こんなに愉快なこたぁねえさ。