自立の性根がすべて

 新春恒例年始回り。やべえ(去年の感想)を通り越して消沈。訪問者に嫌味な視線向けたりするのは、気持ち歪んだ証し。ロクなこたぁねえなと思うのも、アクティブに人と関わる収穫か。



 こんな時ほど自立ってのを思う。この当たり前が唯一、ニンゲンを救う。変な気持ちひっぺがしてきゃ、結局ここに行き着く。要らぬ自負心ドブに捨て、愚痴・ひがみドブに捨て、リアルに自分も人も見る。てめえに飯食わすのはてめえ。こいつ死んでも忘れねえで。


 世の中・人間、シンプルなのだ。日々暮らしてく。何としても。自分のために、嫁さんのために、子達(この頃じゃ孫も)のために。汗流すの忘れねえで。


 すけべ根性、ひん曲がった性根、そうすりゃ嫌でも吹き飛ぶさ。必死がすべて。体当たりは知恵の源。グジグジしたとこからは、何んにも生まれやしねえ。諸悪の根源、依存の性根。


 こんなこと言うと貧乏人、民草、根っこの会の鏡と、テンノウ陛下や政治屋共、資本家共から表彰されそうだね。


 でも、よく考えてくれや。この手の性根ほど恐いもんはねえんだぜ。あんたらの基盤、根底から突き崩す。それが、この手の性根が政治なるもんとはまるで別の地平から無意識に否応無く生み出す、地すべり・地殻変動の情念、感性、エネルギー。だから表彰したがるんだべ? 「良い子」に仕立てたくて。あんたらの心に巣食う支配の性根の裏返し、依存の性根で。


 こんな話は余計な寄り道、すけべ根性。そんなもんの遥か以前に、生きなきゃ駄目さ。こいつが俺の30年近けえ、七転八倒貧乏暮らしの実感だ。


 神はみずから助くる者を援く。ヒトの接点・糊しろは、共感共鳴、意気に感じる人の情。こいつがベースの社会じゃなきゃ、何度やっても堂々巡り。


 俺は生きるさ。世間なるもんの、社会なるもんの、国家なるもんの遥か以前にヒトはいる。俺はいるってことさ。俺にとっちゃ愛情がリアル。愛情がすべて。子達や生まれたばかりの孫のため、嫁さんのため、俺のため。そして願わくは、どっかにゃ必ずいつもいる、ニンゲンの自立という当たり前、当たり前にやってる同志のために。


 地上に暮らす一人ひとりに根ざした、人民民主の共和制万歳。