「国民はお客様」と自分

 「国民はお客様」。


 百数十年来、何一つ変わってねえってことさ。精神構造が。政治屋、官僚、インテリ、市民、組織人共の。


 なんでこんな精神構造が生まれるのか。いつまで経っても変わらねえのか。


 国家、統治者、二世三世例にしたんじゃ言わずもがなだから、人民・民主騙り続けた左翼・市民・「労働」者、インテリ共例にした方がいいね。


 「人民民衆・労働者の前衛」なんて言い方あったろ。「目覚めた市民」なんて言い方あったろ。「大衆の原像を組み込め」なんて言い方あったろ。


 馬鹿にすんじゃねえって話さ。人民、民衆、労働者、大衆にはね。


 あんた何様。


 何様共の末裔、なれの果てはわんさと。ウデ組んで、「♪栄華の巷低く見て」批評。土壇場になりゃ(土壇場じゃなくてもね)すうっと上昇、あちら側へ。散々出くわしてきたさ。


 大衆の原像組み込めなんて、一番マシな言い草だったさ。


 それでも馬鹿げた話だぜ。大衆は俺だぜと、深く深く深〜く感じりゃいいだけの話。


 インテリって何だい? 商売の話じゃねえか。「言葉」で飯食うってだけの。


 今じゃ神話の学生運動。「俺達ゃ体制と闘った」。


 アホ抜かせさ。てめえのアタマの体制放置して、いってえ何と闘ったんだい? 「大衆の原像」云々なんて感性すら持ち合わせねえ、クズ・思い上がりばかりだった。シンパ・取り巻きひっくるめて。何様共の精神構造。


 構造ってからにゃ、偏差値「五流」も「一流」もまるで一緒だったってこたぁ、忘れねえ方がいい。バカ売りにして人たぶらかすのは、貧乏売りの正義面と一緒。クソ田舎にも、この手はわんさと。


 長年娑婆渡って一番役立たず―ってよりも害悪だったのは、俺達ゃ市民、「労働」者の類。こいつらは、ヒトを生身じゃ絶対見ねえ。見る脳ミソがねえ。


 感性ねえんだもんね、自前の。


 平たく言や、アタマ固てえってこと。固てえアタマに当てはめるだけ。だから平気で人を切る。切れる。組織的なもの(出来合いの知識・言葉もこのたぐい)に忠実なのは、官僚共よりはるかに上手。だから人を平気で裏切る。裏切るって感性・恥さえも持ち合わさねえ。親になりゃ、わが子も平気で貶める。思い込みと通念で。


 「目覚めて」あさっての方に行っちまうんなら、目覚めねえ方がよっぽどましさ。今ここにいる自分。ドン臭くても、こいつに踏みとどまってね。