こういう吉本が死ぬほど好きだった

 これは吉本隆明の、あるサイトからの孫引き。御容赦。


(以下引用)


 「前衛」的コミュニケーションの方法は、現代の「進歩」的末端にいたるま
で採られている方法の範型である。これは、魚屋のおかみさんをオルグして母
親大会につれてゆこうとする平和と民主主義者から、市民会議の地域的な結成
をとく市民主義者まですこしもかわりない。
 もしも労働者に「前衛」をこえる方法があるとすれば、このような「前衛」
的なコミュニケーションを拒否して生活実体の方向に自立する方向を、労働者
が論理化したときのほかはありえない。また、もしも魚屋のおかみさんが、母
親大会のインテリ××女史をこえる方法があるとすれば、平和や民主主義のイ
デオロギーに喰いつくときではなく、魚を売り、飯をたき、子供をうみ、育て
るというもんだいをイデオロギー化したときであり、市民が市民主義者をこえ
る方法も、職場の実務に新しい意味をみつけることではなく、今日の大情況に
おいて自ら空無化している生活的な実体をよくヘソの辺りで噛みしめ、イデオ
ロギー化することによってである。
(「前衛的コミュニケーションについて」1961.12「先駆」1号に掲載)


 俺はこういう吉本が、死ぬほど好きだった。

 人生をずっこけさせるだけのもんはあった。感謝してるぜ。



※あまたあった吉本の本は、田舎へ舞い戻り狭めえアパート暮らしの俺が、ほかの諸々と一緒に実家の親父の家に預けた。


 それは全部捨てられた。貧乏こいた俺をあざ笑った兄に。田舎の特権放送企業で、最悪の労働貴族人生を送った兄に。親父の死後、てめえが長男面するいわれは絶無だと、末弟に怒鳴りつけられた兄に。


 吉本に出くわさなけりゃ、あの時代、あの東京で、あの学生生活の中で、感性の持続はできたかどうだか。嫁さんとの関わりだってどうだったか。嫁さんにゃ、幸いだったかどうか分からねえが。