がらんどうファシズム(再々録 初出・2006年12月3日)
「いえいえ、金のためではありません」
「ほらほら、やっぱり金なのね」
馬鹿同士のやり取り。
この国の人々の大半は、暮らしの金と欲望の金の見分けがつかない。この区分けが、何をするにも一番大事なのに。
生身のヒトに聖人はいない。だから誰もが必ず、両方を混在させる。
どちらにどれだけ比重を。それが大切なのだが。
重箱の隅を突付く人と社会。経験を経ることのない奇麗事(観念)が、汗水流さないマスコミが拍車をかける。
生身の人に頼れなければ? 生身でないモノに頼る。マニュアル、システム、枠組み、権力、宗教、象徴。
組合が成り立たない。生協組織が消える。そして欲望の短距離走。その象徴の張りぼて郊外店ばかりはびこる。
商売にも人情はある。そんなことはもう、誰も信じない。「やっぱり金なのね」。
「奉仕」だって腹は減る。ちょっとうまいもの食いたい時もある。「やっぱり金なのね」。
なので皆規則通りに。
「我ら善人に規則を、命令を―」