インターネット (遠い昔死んだ歌い手に)

http://www.youtube.com/watch?v=eH0hRgZx0I0 (既出)



 インターネットってのは、いい。俺のような者には。


 以前ならとうの昔に闇に消えた声が、見ず知らずの人の手、人の思いでよみがえる。だれかがどっかで儲けてるなんて、ひとまずどうでもいいさ。


 ネットがこの国起源、この国だけのものだったら、資格、許認可、一見さんお断りetc.の得意技で、けっして大衆のものにはならなかったろう。


 田舎に住んでりゃ実際、首都圏の地上波の受信さえ、違法の名のもとに潰される。あうんの利権でつるむ、科挙・特権の組織人達によって。


 「(坂口安吾太宰治織田作之助らの無頼派文学は)名もない読者達の熱烈な希求と、祈りに似た深い思いが戦後の空に現出させた美しい虹であり、蜃気楼であったのだ。…文学的宇宙においては現実の交友関係によるエコール(流派)より、読者の中から湧き起こった幻想のエコールの方がはるかに強い文学的真実をもっている」


 これは吉本隆明の後輩で友人だった、奥野健男の言だ。


 これはそのまま、ネットの世界だと言ってもいい気がする。みそ糞一緒のネットは、よきものも生まれるパンドラの箱でもあるのだ。


 「『無頼派』は読者の側から自然に形成された、もっとも民主的自発的なエコールと言える。このような例は日本文学史上『無頼派』以外にない。」


 そうさ。「民主的自発的なエコール」は、科挙、特権、制度の外のこの種の場で、ようやく再生持続が可能となったのだ。