無方向の子育て (初出 4/07/2007、やめちまったサイトより)
小学生の頃、上の子はしっかりしていた。
親が、気持ちの支えにならなかったからだ。
下の子はぼ〜っとしていた。
親は、空気みたいなものだったろう。上と比べればだが。
弟には、姉もいた。
種々の無駄を含む遊びの世界、目的に削ぎ落とされないトータルな世界を子が持つことは、大事だ。
親や家族が、空気のように見護れれば、一番いいのだろう。
願わくはもう一つ、子供同士の世界。親や大人が介入すれば、ろくでもなくなる。
子の心を無方向に膨らます大人の他人は、極めて稀だ。
膨大な「無駄」に耐え切れるビジネスは、教育を含め、存在しないからだ。
そこに留まる蛮勇、大馬鹿。これには敬意を持つ。
人々が無責任に望む「真の教育」も、この種の無駄の中からしか生まれない。
学校史を何度もひっくり返したが、稀にいたこの手の人物が表に出ることは、まず無い。目的なるものを持たないからだ。
政治から生まれることは、それ故絶対に無い。