三十年ってば…

 三十年ってば、色々あった。

 振り返りゃ、涙の味。

 正直な気持ちさ。

 息子は、俺の涙吸って育った。そんな気がなぜかする。俺とはまるで別の人格人生だけど。子供の前でなんか、泣いたことねえけど。

 おめえは嫁さん大事にするだろう。子供も。

 俺ができなかったこと、まるで半端に終わっちまったことを、おめえは多分やるだろう。

 俺の家系は、女が泣く家系だ。

 親父のお袋は、親父が一歳の頃、家に火をつけ焼身自殺したそうな。

 親父は、お手伝いに救われて命拾いしたとか。

 親父はそのことを、生涯知らんかったらしい。薄々知ってても、ほじくる気にゃならんかったんだろう。

 ほじくりゃよかったと、今はっきりと俺は思う。

 親父は死ぬ数年前、俺に言った。「俺の伝記書かんか。金は出す」

 通り一遍の人生書けってんだろ、そんなもん書けるかってのと、要らぬ気づかいするなってのとで、結局うやむや。

 やりゃよかったなと、ちょっぴりだが思う。

 始めりゃ徹してやったろう。あかの他人にもそうした俺だ。

 女が泣く家系。自分振り返りゃ、よく分かる。

 男が男に徹せられねえ。それだけさ。女泣かすのは。俺の経験じゃね。

 同じこと繰り返すさ。社会が、他人が作った我の上に、男が足突っ込んでる間は。

 自分振り返るのは、括弧付き「我」の否定は必須だ。

 俺はそれで終わっちまった。嫁さん、上の子散々泣かせて。上の子は涙じゃねえ、俺の怒りの毒ばかり吸わされた。

 おめえも、ずい分余波は食ったかも知れねえ。知れねえが、おめえは俺の先行くだろう。姉さんにも護られ育ったおめえだ。

 おめえの嫁さん見て、母さんも姉さんも安心してた。

 いい母親になるだろうって。

 家族家庭をおめえは護るだろう。ヘンな我薄いおめえのことだ。

 護るおめえが護り易くなるように、俺はせめてするさ。黙ってこっちも生きるってだけのもんだが。

 三十年ひと世代。ちっとは先に進まなきゃ。それはおめえの力。幼いおめえを支えた姉さんの力だが。