デラシネと若旦那国家

 あるとこ見たら、久々の単語に出くわした。

 デラシネ。根無し草って奴だね。

 昔は、とりわけ団塊なる者達以前、1935年頃から50年頃までの者達は、これに憧れたんじゃねえかな。

 その頃生まれた者達までは、ムラとイエが実体としてへばり付いてたからね。人間に。まだ世の大半占めてた、田舎者達にね。

 田舎が田舎たるゆえんの精神と仕組み―ムラとイエは自然崩壊した。デラシネに憧れた者達の思想や生き方じゃない、マルクスの言う下部構造の変化によって。

 憧れの人生と当人の実体は違うってのは、分かるべ。嫌味な言い方だがね。

 これ徹底的に埋めるしかなかったんさ。ほんとはね。とんずら・上昇するだけじゃなくて。埋められねえなら、なぜ埋められねえか含めて徹底的に。流行りものに飛びついた者の責務としてね。

 いい思いしたろ? 代償払えや。―てな感情は当然当然当然、あるさ。嫌でもこびり付いたもんとしてね。頼みもしねえのにおめえらが投げつけて来た、ごみかすから立ち昇る臭気。胸に腹にこびり付いてるさ。

 もっと単刀直入に。情けなくねえんかい? 歯が浮いたまんまの人生。

 余計なお世話だろけどね。それ承知で元取ったつもりだろから。モノで。

 その言い訳・正当化が、俺に投げつけたごみかすさ。

 俺は憧れって奴は、馬鹿にしねえ。本質含むことがあるからだ。若さが直感・直観するところのね。

 「おう! おらもそう思う」

 こういう閃き、共鳴は大事さ。敗戦後の村の青年団4Hクラブ。占領軍の声がかりだったが、案外その後愚直真っ当に、新たなもん作った奴はいた。そのまま百姓として。食い詰めて始めた町工場の親父として。どれも都会にとんずら・おのぼりじゃねえ、その場に残った奴らさ。

 憧れに混在する若さの閃き・直感が否定されりゃ、すべて先例踏襲だ。若さはそれが嫌だから、泥田の中でつかむ一本のワラに光明を見つけ、新たな(より本質的な)世界の手がかりとする。

 地動説のコペルニクスガリレオも、みんなそうだべ。自然科学も社会科学も文芸芸術も関係ねえはずさ。新たなものへ、より本質的なものへと向かう意欲、態度は。

 俺はこの国は今、青年会議所国家へ向かってると思ってる。
 
 若旦那国家ってことさ。(若さと勘違いしちゃいけねえぜ)。

 その昔、たまたまのぞいた青年会議所ってのはゆかいな場所だった。多忙業種、前向き業種の青年達は絶対寄りつかねえ。居るのは、親が主の町場の商店や会社のぼん達、ぼん達相手に商売の魂胆の、地場の小商人志望ばかりだった。

 そいいう所にはびこるのは先例踏襲。ぼんの親玉(会頭とか言ったね)のイタコ・口写しばかり。腹ん中は、狭いせまい内向き世界の損得利害だけ。

 そういうとこほど、道徳だの精神だの魂だの伝統だのって話が出る。戦争に行った親が、都合いいとこだけかいつまんで話す話、口開けて聞く程度の脳みそばかりってこと。

 笑っちゃいられねえぜ。仕組みの中でコクミンが一応選んだひょっとこ首相も、戦犯総理の孫首相も、ええかっこしいの小泉も、まるで同じ精神構造の持ち主だったべ。

 こんなもんになんで勝てねえんだい? 遅れたイナカ見下して、進んだ街に行った頭いい人たちよ。都会じゃ、自由にもの言えるんじゃなかったの? しこたま啓蒙してくれたんじゃなかったの? 遅れたイナカもんをさ。今でもいっぱい来るけどね。高けえ講演料取って。政治や行政に一本釣りされたイタコだけどね、たいがい。

 ここで話はどんでん返し、元に戻るさ。ムラもイエも何一つ解体しちゃいなかったってこと。むしろ都会でね。ていうか、持てるもの何んにもねえ田舎の方が、今は自由じゃねえの? 山ん中じゃ独り暮らしのじじばば達、若けえ奴よりずっともの分かりいいぜ。

 デラシネって、自分は自分ってとこに戻ることじゃねえの? そっから始めるしかねえと、実に当たり前の出発点に戻るってことじゃねえの?

 そこで人生考える。人との関わり考える。考えるだけじゃなく実行する。

 こいつがなけりゃ、永久に先例踏襲さ。アタマいい、ススんだおめえらが一番馬鹿にしてきたはずの若旦那達の、若旦那国家の奴隷としてね。


(追記)
 
 統治者共がもっともらしく持ち上げる、維新の熱気冷めたあと凝固し出来た帝国明治。こいつは典型的な若旦那国家だったんだぜ。

 こいつの遺産・仕組みの中のよい子(偏差値基準の脳みそ)にゃ、難題だぜ。地動説は。