ニコンは戦友

 俺のあほな思い込みだけどね。ニコンは戦友さ。

 一企業の商品ってだけのもんだけど。ついこの間使い始めたばかりだけど。この頃じゃ投売り商品っぽいけど。

 くだらねえことばかりだった高校時代、ただ一つ息抜きがカメラだった。欲しかったニコンFは、高くて手ぇ出なかった。

 やがて高じてムービーの撮影屋に。サイレント=音無し時代、モンタージュ、カットの組み合わせは面白かった。理論と体、感性の合体。こういうもんは確かにあった。撮りながらやるんだもんね。二十代のいっ時だけだが、打ち込むだけのもんはあった。

 だがすぐに録音カメラが普通になり、撮りっぱなし・たれ流しビデオが入り、撮影屋は人生・かっ藤と闘う気もねえお受験記者の猿回しの猿になって、さっさと辞めた。

 辞めたあとも、撮る味は忘れられなかった。スタジオ設備と機材が勝負の据え物切りじゃねえ、動きあるもんならスチールでも、そこらのプロにゃ負けねえ自信はあった。ついで仕事だが、それくらいのもんは撮った。

 そういう俺を、高給取り共はあざ笑って来た。わざわざそれを浪花の彼方から言って来た。何人も。尾ひれ付けて。コソコソ上方まで出稼ぎに来てる―。

 貧乏こいてる昔の「仲間」をあざ笑わなきゃならねえ訳は向こうにあったと、当時も今もはっきりと分かる。何んかの上に乗っかって、体験体感絶対しねえ労働貴族、腐れサラリーマン共。死んでも許さねえ。

 なんでニコンが戦友かって? 持ちゃ落ち着くからさ。安もんだけどね、持ってるのは。

 フィルムの頃使ってたカンノン様じゃ、反吐が出る。電気屋系は使ったがいまいち。そんでやっぱりニコンに。幻想込みで。餓鬼の頃からの幻想。一つぐらいあったっていいさ。

 闘うさ。永遠に無理でもね。人の並立、共鳴共感、人民民主の共和制のために。