メロン.Ⅱ

 そういえば息子が送ってきたメロンは、ずい分値の張るものらしい。

 無理してるのが、無理したなと思ってるのが分かるので言った。父母、気持ちだけで十分と。

 娘も同じことすることがある。そうしてくれる気持ちはありがたいが、やはり無理するなだ。

 娘も家庭を持つ。息子にゃ子供もいる。家庭大事にし、嫁さん大事にし、旦那と仲良く。それが何よりなのだ。

 気持ちで十分。親は、古い世代は次代のために生きてる。次代のためにゃ無にもなれる。これが普通の、どこにも転がってる人情だろう。

 こんな時にゃ余分な話だが、この国の国柄なる奴は狂ってる。親が、「上」がのさばる仕組みも、底流の道学なるものも、全部が全部糞だ。

 自然に帰れのルソーは正しいさ。今も。

 自分の化けの皮。こいつひっぺがすだけで一生もの。くだらねえものぶっ壊すのは、一生かけても二生かけてもやるしかねえさ。

 息子は母に、自分で見つけた伴侶のことを、欲薄い人と言ったとか。

 女は家庭のためにゃ必死になる。その辺は欲と勘違いしねえことだ。

 俺はずい分嫁さんと喧嘩した。勘違いしたわけじゃねえが、諸々制動かけられてずい分往生し、腹も立った。

 暮らしってのはそんなもんだ。それが軸だ。今んなりゃよく分かる。

 よく分かるものどう伝えるか。口挟まねえことだ。つつかねえことだ。黙って見守り、聞かれた時だけ言うことだ。俺はこう思う程度に。

 高けえメロンはありがたく食うさ。無理すんなと思いつつ。気持ちだけで十分と、できる範囲でいいさと折々つぶやきつつ。