毎度虚像追従のインテリ、 うんこの小林

 「国民は黙って事変に処した」

 訳知り男・小林秀雄の「名せりふ」はこれ。戦前の二・二六事件前後の話だべ。事変ってのは、偏狭脳みその田母のご先祖達が大陸でばら撒いた一連の騒乱、侵略戦争さ。

 観念の理想や階級吹聴し、ヒステリックに立ち回って壊滅した左翼。知らしめよ、でなけりゃ俺達ゃ立ち上がれねえ虚弱インテリのマスコミ。

 これらのアンチテーゼで小林が持ち出したのが、現実をあるがまま、黙々受け入れる庶民のイメージ。庶民の父の理想型。

 こんなの見て浮かぶのは、俺の田舎の山ん中の、当時知るばあさんが言った話。戦時たけなわの頃、兵隊不足で三十男にも赤紙が。「村にもそんな親父がいた。出征の時、もうおら駄目だと男泣きで出かけた。そのまま帰っちゃこなかった」。

 もう一つ浮かぶのは、破れかぶれの正直者・坂口安吾の戦争直後の言。「国民は腹ん中じゃ、戦争が嫌で嫌で仕方なかった」。

 黙って事態に―。こいつは単に、総動員の成り行きに飯のため従うしかねえ都会の俸給生活者・小林をそのまま映し出す、あらまほしき寓話なのだ。

 小林ってのはたとえて言や、都会の一流気取りホテルのフロント、ドアボーイだ。上層に、それ由来の理想型に常に自分重ねるたぐいの。慣れねえ場所にアタフタの庶民や田舎もん、慇懃無礼に見下す―。制度が作った「自然」を狡猾に受け入れる宮仕え=封建武士の成れの果て、俸給暮らしの東京人。

 空虚な実生活の封建武士が、常に自己正当化の主君・理想型のたぐいを必要としたのは、分かりやすい話だ。小林も三島由紀夫もその末裔。

 忘れちゃいけねえのは、百点満点の理想型=逃げ水追うがごとき減点法に延々仕込まれるインテリは、全部が全部この手の精神の持ち主ってこと。こいつは今も昔も、まったく変らねえ。

 知らしめよ、されば立たんも、観念追っかけて壊滅の左翼も、みんな小林のお仲間レベルだったってこと。

 いつの時代も、言葉や記述残すのはたいていインテリだ。こんなもん、鵜呑みにしねえことだ。

 「有名人」や「権威筋」の本、アタマなんかで読んじゃ駄目だぜ。ほんまかいなと嗅ぎ取りゃいいんさ。本能体感で、実体験の感性で。それが真っ当な地べた生きる人民、民衆さ。自分が軸ってのは、このことさ。