なんで共和制を言うのか

麻生首相は17日の日本記者クラブ主催の党首討論で、今月8日に鹿児島県で開かれた民主党の集会で掲げられた同党の党旗が「日の丸を切り刻んで、上下につなぎ合わせた」ものだったと指摘した。……

 首相は支援者から寄せられた話として日の丸問題を取り上げ、「国家の象徴としての国旗を切り刻むようなことがあったと正直信じたくない」と批判した。……

 首相は最近、街頭演説などで日本の歴史や伝統、国旗、皇室などの大切さを強調、保守層を意識した民主党批判を展開している。(2009年8月18日10時33分 asahi.com)」


 明治前期、政府や国家行政が曲がりなりにも国民国家、近代化の方策を打ち出すたびに、あぶれることになる士族の系譜の者達はこの種の伝統なるもん持ち出し、テロもちらつかせてけん制の材料にした。けん制の裏にゃ、利権の確保(今流にゃ補助金のたぐい)等々当然あったろ。

 『教育勅語』なる、かつて教育界じゃ憲法しのぐほどの力奮ったちんけな一文(=親が子にして当たり前のこと恩に着せる)も、一応は近代性の要素を持つ明治憲法の足引っ張る、この種のセイシン・利権の輩の工作の末だった。

 チンピラ学園国家とは、このことを言う。真っ当に学びもせず働きもせず、グレたのはお前のせいだと言って爺さん持ち出し親ゆする。創立者なる人物の片言隻句騙って気弱な教師共ゆする(鳩山なんかは気弱な教師だね、どうやら)。ゆすりついでに、劣等感の代償に、校旗振り上げしゃしゃり出て、精神なるもの声高に叫んで羊の生徒共締め上げ、小狡く管理の側に回り小遣い銭せしめる。

 ぱ〜でんねんの父っちゃん坊や共、なめてかからねえことだ。この手のチンピラ共が政治の空虚に乗じ勘違いしておどり出て、上っ面勇壮装い、近隣の国家と民衆蹂躙し、この国の多数の人民血も涙もなく墓場に送り込んだのは、つい六、七十年前のことなのだ。年表開けばよく分かる。中国侵略に、太平洋戦に導いた狂気の輩は、日露戦争期のウルトラ国家主義台頭の時代にセイシン構造仕込まれた者達が大半だということが。

 チンピラ共のゆすりに乗って飴玉なんかやってると、またぞろとんでもねえことになるぜ。飴玉の次は鉄砲玉、鉄砲玉の次はピカドン…。鉄砲玉、またぞろ人民に向けるに決まってるさ。既成の統治の構造・精神に擦り寄ることが、唯一存在根拠だからね。無能徒食のチンピラ共は。

 がらんどう、見かけ倒しの印籠蹴飛ばして、ほんまもん見せりゃいいんさ。虚構じゃねえ、人民の魂を。「天は人の上に人を作らず」、百余年の周回遅れで実現。人の並立、人の共鳴が絆の共和制を。