上げ底の「郷土」

「…首相は21日、福島県郡山市内での街頭演説でまたもこの(日の丸)問題に触れ、「われわれが守るべきは郷土であり、日本であり、日の丸だ。それを破って自分の党の党旗を作るというふざけたことを、われわれは絶対にする気はない」と語気を強めた。」(8月21日19時43分配信 産経新聞


 俺の田舎の町内会じゃ、役員さんの背中の方に日の丸張ってある。

 ややこしいこと思わない人も、思うらしい。ヘンじゃねえの?

 だから人は来なくなる。来るのは昔ながらの地縁、それもお仲間利権のある者達。昔の地主の流れとか、どっかから何となくお手当て入る人達。

 学校のセンセイ上がりで、公民館長なんてのも来る。月二十何万入るんかな?

 以前、組合活動で割り食った先生上がりは言った。「なんで皆、役職付くころに組合辞めるかって? なんで皆校長になりたがるかって? 退職した後もぜんぜん違うからさ。コースある。恩給(注)もらって、公民館長とか図書館長とか「地域」の仕事もらって。全然違うさ」。確かにね。ゆったりのんびり海外旅行の老後。国営放送手製シルクロードに憧れ、楼蘭あたりにのんびり泊まって、絵ぇ描いたりして。自慢の展覧会、帰えって開いたりして。

 汗水たらして働いてる農家の爺さんは言った。「小規模経営、このまんまじゃ立ち行かねえから、みんなで集団経営に、組織にしようという話があちこちに。役所の指導で。でもおら入らね。どうせ地元の顔役、補助金俺がもらって来たって奴等が役員、経営者に」。

 父っちゃん坊やの若旦那首相が懐かしむ「郷土」は、これ。みんな黙ってにこにこさ、上っ面は。日の丸背にした旦那衆に。その場はなんとか立ち行くので。補助金で。

 この国の「地域」も自治会、町内会も、みんなこの体質だべ。今も。直のルーツは統制の戦時下の隣組、報国会、産業組合のたぐい。

 「郷土」「ふるさと」。何一つ変りゃしねえさ。都会に住んでりゃ見えねえだけ。あんたの人生生き方、どこ変った? 一緒だべ? カイシャなんかもギョウ界も。

 ジワジワねちねち、日の丸の「郷土」がまたぞろ押してくるってことはある。おいらが好きな、あっけらかんの静かさの鎮守の森の境内も、いつの間にやら組み込まれるさ。へたすりゃあね。エセの郷土に。エセの自然に。

 「国旗尊敬。国歌尊敬。それが自然だ」。言われりゃ、たいがい黙るんじゃねえの? 気弱な善意の先生然の、鳩ぽっぽみたいに。

 人民民主のシンボルは、別に作らなきゃね。構造違うんさ。「郷土」と郷土。「ふるさと」とふるさと。


(付記)
 そういや、前から気に入ってる共和制人民旗がある。空の青、海の青、宇宙の青の青ベタに、地球とこの国。シンプルにアレンジして縫い付けときゃいい。歌の方? 『♪君が代行進曲』なんて、パチンコ玉よく出そうだね。こいつ変えて『♪人民行進曲』なんて―駄目か。



(注)お手盛り共済のずい分割のいい年金ってことかね、今時の名は。先生は、子の奨学金とかもすぐに出るね。