崩壊

 二十七年前、旧満州引き揚げの開拓部落へ仕事で通った頃。腹へって、途中のちっちゃな商店で牛乳パン買った。あいその悪い婆さんが出てきて、定価通りのパン、俺に渡した。

 車走らせながら袋切って、気が付いた。パンにゃ青カビ生えてた。

 以来俺は、その頃あちこちに出来始めたコンビニで買うようになった。

 小さな商店が、雑貨屋が消える。昔の町場の繁華街がシャッター通りに変わる。その手の話聞くたび、青カビパン思い出す。

 昔親父は子供の俺に言った。「町場の商店なんて、ひでえもんだ。店出してやると言ってタダ同然で働かせて、年季明け近くなると、何んだかんだ難癖付けて追い出す」。普段、この手の悪口言わねえ親父だった。そのせいか、今もよく覚えてる。

 行った先は東京だが、青物屋かどっかの小僧に入った隣の息子(といっても俺より十歳上)は、この手で追い出され田舎に戻ってきた。

 先日仕事ついでに、近くの町のシャッター商店街の復興祭りとか見物した。旧天領。こんなもんいまだ自慢し、周辺からは鼻つまみの町だった。この町にゃ、なぜか親戚がいた。江戸から続く醸造屋とか。跡取り息子は俺とほぼ同年。たまに会うと横柄な口をきいた。

 ちょっとした町にゃたいていある青年会議所は、町場の若旦那衆の溜まり場だった。親戚の醸造屋も、理事長とかやったはず。この手の町おこしにゃ、以前は必ず顔出してた。

 すでに代変わりした者達が仕切るシャッター通り祭りにゃ、青息吐息の店いまだやってるとかの息子の姿は無かった。祭りも変わった。町場にゃ前なら寄り付きもしなかった農家が、直売で店開きしてた。「協力してくれる店、少ねえだよ」。祭り任された農家の親父は言った。気力も失せたか、潰れつつある天領町の旦那の意地か。

 歴史と経緯に学ぶものはねえ。なるようにしかならねえ。学ぶとすりゃ、自分、上げ底にしねえこと。ヘンな意地張らねえこと。人、馬鹿にしねえこと。自分、虚心に見ること。当たりめえのこのぐらいのもん。

 そんな力はねえけれど、手ぇ差し伸べたってやけどする。やけどまでは行かねえが、その手の嫌な思いは何度かした。長兄なる馬鹿な男が取り仕切る、俺の実家の諸々の事柄含めて。

 ガキの頃なぜか読んだ、日本武尊の神話思い出す。兄や親のために散々献身して、どっかの野原で野垂れ死に。読み方正しかったかどうか、今更知らねえ。イエのため、体よく利用されたな。ガキなりにそんな気がした。

 滅びる者に、ざまあ見ろと言う気はねえさ。牙剥いてこねえ限り。だが日本武のお人好しは、金輪際しねえ方がいいと思ってる。俺に力があったとしても。