もの作る野良犬
もの作る野良犬。これ俺はめざした。意識無意識に。
ていうか、元々人はそういうもん。
もの作るってのは、ヘンなもん脱ぎ捨てるのとイコール。
脱ぎ捨てなきゃ見えねえものがある。見えなきゃ作れねえものがある。自然科学も社会科学も、泥田の世界も大工機械屋の世界も、人生生き方、魂の世界も。
皆一緒なのだ。目眩まし、衒学、曲学阿世、既得の制度仕組み…、怠惰惰性と手を結ぶ神、詐欺師の世界じゃなけりゃね。
思い込み捨てること。体裁、取り繕い、上げ底の自分、捨てること。そうすりゃ人はフェニックスだ。
再生するさ。いつだって。ゴミの山から、燃えかすから、真っ白な灰の中から、無の中から。魂の奥底、物質宇宙の奥底、感じるからだ。
元々人は、人民は、誰にも飼われねえ野良犬なのだ。餌自分で作る。これできる野良犬なのだ。人の情。自主の心と実践力。もの作る精神の基幹さ。
人間は一人ひとりだ。だが孤立しちゃいねえ。ほんまもんの引力が、引き合う力が分かるのだ。くだらねえもん脱ぎ捨てりゃ。
毎度お馴染み。共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。