小児病と人民

 人民性と小児病。こいつ明確に違うのは、はっきりさせといた方がいい。

 学生運動なんか典型的に小児病。

 歳相応の小児病。親に一生反発のどら息子病。この違いはある。

 経験嗅覚じゃ、ほとんど後者。俺達ゃ三流大学、なので人民―なんてまるで関係ねえ。意識、脳みその構造の問題。手習いの時代、5年10年過ぎりゃあほでも分かる。

 これ分からねえのがどら息子。餓鬼の火遊び死ぬまで自慢。親に一生くっ付いて手習い。これが明治(エセ親)が用意し、今にそのまま地続きの科挙偏差値の世界、構造そのまま反映の宮仕え官僚頭脳=小児病の世界。

 何度も言うけど、実体の仕事が官僚か民間かなんて関係ねえさ。名刺は自由業のたぐいも、この手の上昇志向むしろわんさとってのは分かるべ。脳みその構造の問題。

 労働運動なんかも、この比率で小児病だった。それ基盤の社会党なんかいい例。俺はこうする。こうしたい。これ絶対言わねえ、言えねえ。強もて面で泣きつくだけ。親父装う自民党に。

 こうしたい。こうする。これ言わなきゃ永遠に小児病。じゃおめえやってみるかい? 言われりゃ蜘蛛の子散らすだけ。

 そ〜いや、ガク者なんか、みんなこのたぐい。後付け解釈がお仕事。餌の出所に気ぃ使うだけ。

 こんなことしてりゃ、伝来親父面はいずれまたのっそり。やっぱり駄目だったなぁ、俺達じゃなきゃ―とか何んとか言いながらね。

 コケの一念、馬鹿の一つ覚え―。共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。


(漫談)

 どっちの芽? 小沢なんて面白いかも。雪国親父の人民性か、どら息子のなれの果てか。