大人にならずに済んだ頃

 はいどうぞ。これが大人の衣です。

 こういうもんがちゃんとしてた頃、オトナは大人にならずに済んだ。ていうか、ならなくても立派にいわゆる大人だった。

 手習い、修練、なぞり書き。収容所へ放り込まれたソルジェニツィンは言った。立派な修練ルーティンワーク、強制仕事のレンガ積み。正確無比、均整の美学。結構惚れ込んでたみたいだけどね、ソルジェニ爺さん。この種の仕事と人生。

 国営放送だったか。A型家康は左右対称均整が大好きだったとか。なので名古屋城は、均整の美学で築かれたと。それで管理教育ってわけでもねえんだろけど。愛知。

 均整バランス、それが引き出す定型句。オトナはいわゆる大人になって、型に載って御師匠さん。100パーセントの完成型なんて生身の人に作れっこねえから、永遠に尻に敷けた。子供、弟子共、部下共。ものの見事の減点法。お受験の発想仕組みと一緒。

 いまでも結構いるね。何んとか工房なんてとこ行くと。退職金人生の団塊親父なんかがのっそり出て来て、うんちく一くさり。作務衣とか着ちゃって。昔懐かし伝統の美学。

 定型月並み五七調。悪いなんてこたぁねえさ。技芸と感性の融合。こんなこと本気で考えてたからね、俺も。撮影屋時代。師匠だってちゃんといた。時間になりゃハイお終い、さあ飯行こうなんてサラリーマン達、絶対近づかなかった東京下町職人の町出の一徹親父。

 経験的に分かるのは、歳食って作務衣なんか着ちゃうのは絶対前者。連れもって飯行く方。無名と孤独にゃ耐えられねえからね。なので作りたがる。お仲間。尻に敷けるたぐいの。


(付記)
 キビしさなんてもん、いいとは思わねえ。だが孤独。これ直視しねえ人生は、永遠にはぐらかしだと思っている。曲学阿世、右に左にご都合次第で揺れるだけの。