ぼ〜っとした世界 ―部分と全体 その幾つめだっけ―

 何度も書いちゃうけど、ぼ〜っとした世界は大事だ。

 先日何んかの話で、ピリピリの神経症、ノイローゼにゃ、副交感神経とかの働き良くする音楽がいいと聞いた。原理のことは知らねえが、感覚的にゃ分かる。

 ピリピリ病は現代病だ。宮仕え病と言ってもいい。人工的な系に自分を委ねるところの。

 昔ポール・サイモンの歌に、人々は自分が作った人工物に頭を垂れるという歌詞があった。「♪People hearing without listening 」なんてのも。

 百姓は話をぼ〜っと聴く。真っ当な百姓は。なので馬鹿に見える。実際馬鹿だ。都市的な、人工物の順列組み合わせにゃ付いてけねえ。

 馬鹿なりに見てるもんはある。人の全体。輪郭と言ってもいい。「俺にゃ細けえことは分からねえが…」。こういう百姓は減った。減ったが確かに今もいる。田舎に舞い戻って良かったなと、唯一思う。

 具体的な技術、skillってやつは部分の側にある。総てがマニュアルメカの頃撮影屋だったので、よく分かる。でも絞りだのピントだの構図だのカット割りだの色再現だの、メカの要素にこだわってるうちは絶対撮れねえ。事象の、人の全体。感情や思いの流れ。自分で撮ろうとするならば。

 先日下の子と喧嘩した。俺の言う、あちら側に立ったので。いっ時の出来事に過ぎねえが。

 子にゃもう何も言わねえ。自分の子、切ったりしねえが。弁明、説明は一切しねえ。こっちからは。

 いずれ当人気付くだろう。俺が死んでからでも一向に構わねえ。気が付きさえすりゃ。部分の側に頭垂れるわけにゃ行かねえだけ。俺は。

 息子の嫁さん、その辺感じたらしい。うまくやってくれ。心配なんてしちゃいねえさ。

 (付記)
 好投手だったマダックスブレーブスの頃、対戦したイチローは言ってた。「総て見透かされてる感じ」。マダックスみてえなもんだ。真っ当な百姓は。「おう、おらもそう思う」。百姓爺さんがそう言う思想。こいつは絶対必要だと俺は思ってる。