俺はサルさ

 田舎新聞にこんな見出しがあった。「日米首脳『新蜜月』演出の初会談。現実対応迫る米側」

 強迫神経症。またはあんたの軸、いってえどこにあるんかいって話。

 坂口安吾だったか。「憲政の神様」尾崎行雄の駆け出し記者時代の話で、こんなこと言ってた。元センセイ福沢諭吉がソリ合わんかった昔の弟子行雄に、「おめえいってえ誰のために記事書くんだい?」。「世の識者のために書きます」。諭吉は鼻くそほじくりながら、「そうかい。俺はサルに読ませるつもりで書いてる」。

 その後尾崎がどう変わったか変わらんかったか知らねえが、新聞マスコミなんか今も、「知」への幻想抱えたまま棺おけに足突っ込む父っちゃん坊やばかり。識者に読ませる、読ませたい(分かってもらいたい)。この性根が、戦後のセンセイ=アメリカを怖れ、意識無意識にすり寄る心理にそのままつながる。または自分お手盛り、上から見下す腰掛け探しってだけのもん。

 サル(人民)に読ませる気だった啓蒙引きずる福沢の方が、まだまし。読者ニーズどこに探るかってだけだけどね。あぐらのスタンスは一緒。

 俺はサル。こいつ百万遍言ってから書くことさ。どうせ書くなら。それでも難しいぜ。自分のサルの本性から、人間の真っ当なニーズ掘り出すのは。ヒトの顔色窺わねえで。人生生き方そのものだからね。根源は。どんなもんでも。