宦官と自分の居場所

 自分の居場所で仕事する。

 自分の感性、体感、経験で仕事するってこと。体当たりで、逃げねえで、怖れねえで人や事象とぶつかる中でつかむところの。それこそほんまもん、自前の感性、体感、経験さ。

 知識(あかの他人の感性、経験、観念)も、そうすりゃたいがい、自分流に翻訳して飲み込むことはできる。軸で感じるからだ。自前の。

 何よりいいのは、ひがむ気無くなる、薄れることさ。自分持ち下げられようが、人持ち上げられようが。自分の居場所で見つめるんだからね。

 組織と自分重ねる奴、重ねることに必死こく奴。すなわち宦官。

 この手合いとは関わらねえことだ。関わっても、そ〜でっか〜の阿呆になることだ。それでもネチネチやってきたら、ぶっ潰すことだ。墨付き与える制度と共に。

 共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。

 並立は力さ。ほんまもんの人間の。直列垂直の官僚制、ファシズムのたぐいに目先やりこめられることはあっても。人生が味方するからね。一人ひとりに根ざすところの。根ざさなきゃ人間持続しねえところの。イエが虚構がなぜ駄目か? 言うまでもねえべ。