午後のひとり言

 何んだか知らねえが嫁さんにいきなり、唐突に言われた。「人のお陰がなきゃ生きちゃいけないよ」。

 俺は人生これまで、人の世話になろうと思ったことはねえ。何度かでくわした窮地も、全部が全部飛び込み営業方式で乗り切ってきた。職安のたぐいは使ったけど。

 田舎に舞い戻った頃、一度だけ旧知に頼もうとしたことはあった。だが「まともな奴なら誰がのこのここんな糞田舎に」と、敗残者扱いされてやめた。まともじゃねえのは承知だったけど。

 田舎暮らしなるもんは今でこそブーム。行政まで「場所空けてお待ちしてます」面だが、当時は他人は言うに及ばず、親兄弟も、「田舎の旧弊とは一線よ」面したクリスチャン婆あまで、露骨な蔑みの言動で俺を迎えた。

 「御陰様」なんざ枕詞、修飾語。自分の汗で食って来たぜ。曲がりなりにも。嫁さん子供と一緒に。こいつが俺の本音だ。嫁さんの力は散々借りたけど。娘息子は間違いなく、半分以上自力で学校出たけど。

 それでも嫁さんに言われりゃ、思い当たることはある。あん時、一文にもならねえ俺のため、あの親父が一肌脱いでなきゃヤバかったな。見て見ぬ振り決め込みゃ出来たのに、そんな奴ばかりだったのに、律儀お人好しのあいつが居なきゃ行き詰ってたな。貧乏暮らし見かねてか、そっと包んでくれた山の爺さん、町場の婆さんいたっけ。自分の財布じゃとても買えねえ高けえ桃、何度かもらって帰って、嫁さん子供達大喜びしたっけ…。

 ちっとは意気に感じたとこもあったろ。大半は迷った末のお人好し、同情だろけど。同情でも、考えてみりゃ有り難てえ。あかの他人のために一肌ってのは。通さなくても済む筋、通すってのは。動かさなくていい指、一本動かすってのは。色んな思い、打算の中で、そういう気持ちもあったってこと。『蜘蛛の糸』のカンダタみてえなもんさ。誰だって。

 人の世話になんかなっちゃいけねえ。人間自立だ。自立だ。自立だ。

 これからも、こう自分に言って生きるだろう。子の世話にだってなるもんか。ある日突然意識ぷっつん、痴呆になっちまえば分からんけど。

 それでも、人の情ってのは有り難てえ。人事尽くして天命。天なんざどこ探したってねえけど、人の情って奴は確かにある。カンダタで十分さ。奇麗事の釈迦じゃねえんだからね、世の中。不足は自分で補うだけの話。それこそ自立だ、自立だ、自立だで。当たりめえの話だけど。


 毎度この歌

 http://www.youtube.com/watch?v=gvpNFLtzxR4