息子の嫁さん ―夕暮れ時のひとり言―

 去年結婚した息子夫婦が先日、引越し途中で家に寄った。赤ん坊連れて。連絡受けた嫁さん、大変なのでわざわざ寄らんでいいのにとメールしたけど。

 東北の田舎町から大阪へ。住む家は、昔わが家が住んだアパートから百メートルと離れねえ場所。ネットで見つけた、偶然だ、関係ねえとへそ曲がり息子。

 息子の嫁さんに、色々俺は話した。近くに古い神社があって上の子遊ばせたこと、散歩の場所は案外あること等々。息子が生まれたのも、そこから1kmちょっとの家。生まれて5ヵ月で、俺達は俺の田舎へ戻った。それでも感じるんだろか?息子は。故郷というもん。 聞いたところで、関係ねえとまた言うに決まってるが。

 息子の嫁さんは、「結婚する」と去年息子が唐突に言って来た人だ。俺も嫁さんも皆目分からねえまま、二人が決めた横浜の小さな式場で初めて会った。参列者は嫁さんの両親と俺たち夫婦、結婚予定の人を連れて来た娘の6人。手はずは全部二人でした。質素な式だった。

 正直、俺は気になった。一体どんな相手なのか。結婚相手は幼なじみがいい。これは俺が、自分振り返り思ったことだ。損得打算薄いつながり。俺が選んだ相手への反省からの話じゃねえが。それとは別の、遠い昔の思いからだった。息子も、幼なじみとはいつの間にか別れた。学生の頃、ぽつりともらした相手でもなかった。仕事で住んだ南の島で出会った人。割と近県の出だったのは偶然だろう。

 行ったり関わったりの経験で、その県の印象は俺にははなはだ悪かった。しかも古い城下町。俺はこの手の土地柄には、うんざりしていた。虚構、張りぼて、見栄体裁。気位ばかりでがらんどう。シャッター通りに変わっても倒産してもまだ分からねえ、傲慢の性根。実際、その町の印象もそうだった。「子どもが選んだ人だよ。信用しなさいよ」。嫁さんは言ったが、不安はあったろ。嫁さんも。

 その後何度か家に来て、何となく感じた。よく似た相手見つけたな、俺の嫁さんと。田舎者ということ。違いは、親が百姓か漁師の出かぐらいのもん。城下町と言っても、合併で組み込まれた猟師町だったんだろう。父親の家は。子供の頃、親と潜った海にひかれて南の島の大学へ。そこでそのまま働いていて、行った息子と知り合ったとか。

 良かったのは俺の嫁さんや娘とも、どうやらうまくやってけそうなこと。後は一家仲良くやって行きゃ、どうこう言うもんはねえ。

 この歳んなりゃ、はっきりと思う。人間どこに住んだって一緒。故郷なんてのはせいぜい、家の、家族のあったかさだ。そいつが生み出す幻影だ。

 親とともに田舎に来た上の子は、その時すでに三つ児の魂。貧乏暮らしの親がばら撒いた嫌な記憶、散々埋め込まれたろ。下は姉にも護られ、少しは救われたはず。それでも記憶にねえ生地にふるさと感じるとすりゃ、あったかさの思い、そこに飛ぶってことなんだろう。

 今朝息子の嫁さん、うちの嫁さんにメール送ってきた。俺が話した散歩の場所で、子供写した写真付きで。一家元気でやってくれ。