共和制の魂 その五  ―一般論と自分―

 おとといに付け加えてて、言いたくなった。

 一般論に身を委ね。

 自分無え奴、捨てた奴の特権。

 投げられたエサに都合よく食いつき、都合よく時流に乗り利権に乗り、都合よく人差別し、過ぎちまった日の栄光ひけらかし、真っ当な奴は誰ひとり近寄らなくなった自分を体裁で持ちこたえ、有形無形の物欲で釣った子に孫に見守られながらあの世へ。

 理想だね、こりゃ。ずるシャモ人生の。

 町の顔役にごまする元日の丸労組の引退爺いが、新車乗りゴルフクラブ振るの見て思った。組合的なきずなは職人も大事と思い、まね事程度したことはあったけど。

 ノーベル賞受賞者の群れが大学のセンセイが、仕分けに色々文句付けてるの見て思った。科学の進歩は、死ぬほど大事と思ってるけど。

 一般論と自分。深くて暗い川なんてかっこ付ける気さらさらねえけど、自分の側に身ぃ置いて、どうにかこうにか橋かける情念。こいつは大事さ。毎度シシュフォスの神話と分かっても。

 一般論に蹴飛ばされる一般論。それだけ。仕分けなんてのは。政治なんざそれでいい。一度蹴飛ばされてみりゃいい。人格装う一般論。我に帰りゃいいのさ。そこで。物取り戦術に加担する前に。

 我田引水。共和制になりゃ、もっとずっと真っ当になるぜ。この手は。一人ひとりの人の原理。